どんなに高く飛ぶ鳥よりも想像力の羽根は高く飛ぶ

自分の"楽しみ"を書いて、自分だけが救われるんなら、それは言葉ではないんじゃないの。言葉は人のものでもあるんだから。

予告編

知らない人と、映画の予告編を観ている。
わたしたちは、ここにこうしている必要もないし、
それを観ている必要もない。
だけれど、ふたり並んで観ている。
なんだか、この予告編を観なければならないような気がしている。
それも、その人と一緒でなくともよい。
その人である必然性は、たぶんない。
その人のことをわたしは知らないし(だって、今ここに来て初めてお目にかかったのだから)、
わたしのことだってその人は知るはずがない。
それは、わたしの好きな映画の予告編だった。
その人も、その映画が好きなのかもしれない。
絵を見つめる目が、心無しか輝いているようにみえる。
まだ知らない人と、映画の予告編を観ている。
この映画のことは、たぶんなんだって識っている。
この映画の
はじめのシーンも、
最初の台詞も、
映画の中で起こることも、
この映画によって起こったことについても。
予告編はいつも示唆する。
この映画がどんなものであるか。
この映画を観て楽しめるものなのか。
わたしはこの予告編を観ることもなく、この映画を観て、そして楽しんだ。
この映画を観ることによって、映画の楽しみをまた知ったのだった。
これから出会うかもしれない人と、映画の予告編を観ている。
この出逢いさえも、なにかを示唆しているのかもしれない。

言葉で世界は出来ている

 言葉で世界は出来ている。
 言葉で世界を把握し、
       解釈して、
    或いは書き換える。
 言葉がなければ、この世界はわたくしにとって存在していないのと同じで、
 言葉がなければ、この世界に触れることも出来ない。

 言葉による感染は、人を目醒めさせ、
 言葉による伝染は、人を感化させ合い、
 言葉による伝達で、人と人は繋がり得る。

 友好を示すしぐさに限りはない。
 本当に好意を持っているのであれば、
 どんな振る舞いでもきっと伝わるのだろう。
 しかし、言葉は愛想を振りまき、いくらでも繕うことだってできてしまう。
 ハートの連打に恣意などなく、ただ記号でしかない。

 頭の中に描いた二本の木は、実際にある木とは違う。
 その木を人に説明することは、きっと容易ではない。
 どんなに誠実に伝えようと試みたって、簡単ではない。
 ただ、言葉の機能によって、伝えたいことを伝えることはできる。
『それは、枯れかけた桜の木で、今年も花を咲かせた。それはわたしにとって大切なことだった』だとか。
 思ったことしか、思えない。
 考えたようにしか、考えられない。
 表現したことしか、伝わらない。

 言葉を尽くすことに、際限はない。
 言葉は簡単に不足し、時に過剰で、あるいは齟齬を生む。

 それでも、言葉で世界は出来ている。
 わたくしの裡にある言葉こそが、わたくしの行動を決めているのかもしれない。
 人は思うことに言葉を用い、
 また、自ら行動するときにも言葉をもってそれを為させる。
「こうしたい」と『思い』、「こうする」と『考えを巡らす』。
 そうして、知らず知らず言葉を運用して『行動している』。

 わたくしが思わなければ、それは実行され得ず、
 なにかが成し遂げられるということも、決してない。
 
 なにかを表現するのに、適切な言葉など、きっと、ない。
 自分の身体にある感覚に近い言葉を、潜っていって見つけてくる。
 ただ、それによってしっくりくることもあれば、そうでもないこともある。
 しっくりきたからといって、それでその言葉が効果を発揮するのか、というとそうとも限らない。
 うまくいったのなら、たまたまそういう言葉に巡り合ったというだけに過ぎない。
 適切な言葉をいつだって見つけられるというわけではない。
 ひょんなことで自分のことを好きになったりするように、
 なんの気ない言葉によって、わたしはわたしに動かされる。
 
 適切な言葉なんて、いつも見つからない。
 なにをするのにも不安は尽きない。
 それで、なにができるのか、って。
 ただただ、言葉を磨き続ける。
 わたしは言葉を扱い、言葉で発想し、言葉で決意する。
 言葉以外に、わたしを支配するものはない。
 適切な言葉が見つからないのと同じように、
 適切な人生もない。
 それなら、目の前のことをやっていくだけ。
 思いついた言葉を、こうやって書き留めるのと同じ様に。
 縁があれば、巡り逢うのだろう。
 言葉にも、言葉でないものにも。

誘導用ブロックみたいな人

 誘導用ブロックみたいに。
 それを必要としている人にはとても役に立って、
 それを必要としていない人には、その存在さえ知られることもない。
 それを必要としている人にはそれがなくてはならなくて、
 それを必要としていない人にはそんなに邪魔にはならない。
***
 必要な人には役に立って、それによって存在していたい。
 それを必要とはしていない人の目にも触れず、ただ、存在していたい。
 あの駅に点字ブロックなんてあったっけ、なんて、そんな程度で。
 でも、そこにそれがあることを、知っている人は知っている。
 それがなければ困ってしまう人があって。
 それを頼りにしている人があって。
 そのこと一点によって、それはそこに在って。
 凹凸5ミリのそれは、底の薄い靴を履いてこそわかる。
 厚顔無恥にはわからぬ。
***
 目立つ黄色を頼りにしている人がいる。
 その人たちの、埋もれてしまう視界の中で、その板は輝いている。
 それなくして命を落とす人もあるのかもしれない。
 あるいは、命を落とすリスクを感じる人があるのかもしれない。
 目の見えない人、目の不自由な人には私たちには”見えない”世界があるのだ。
 点字ブロックはその世界を見せてくれている。
 私のような、目の見える目の”不自由”な人たちに。
***
 誘導用ブロックみたいな人が、自分の理想なのかもしれない、なんて思った。