どんなに高く飛ぶ鳥よりも想像力の羽根は高く飛ぶ

自分の"楽しみ"を書いて、自分だけが救われるんなら、それは言葉ではないんじゃないの。言葉は人のものでもあるんだから。

したの味

 マスクごしの接吻。
 彼女が舌を当てているのがわかる。わたしもそうしている。張り合うマスク。ゴムで耳が痛くなるくらい、キスしている。
 息が荒くなっているのは、気密のせいなのか。ぼくらは、いま、野生。どうしても、こうしなくてはならない。
 眼鏡が曇っているのがなんとなくわかる。そのうちに雫が垂れるのではないか。
 舌先が二枚の不織布を隔てて探している。うごく舌をなぞる。
 彼女との、何度したかわからない口づけも、久しぶりに会うといつもとは違っていた。今、ぼくたちはキスをしているのかもよくわからない。でも、彼女の気持ちは十分に伝わってくる。情熱。自分もそれに応える。情熱。
 駅の改札を出て、彼女が近寄ってくるなりこうして。素手を合わせるのさえ躊躇するのに、マスク越しに息を交換している。これでは、伝染るかもしれない。それでもいい、と思う。
 束の間、くちびるを離す。泣いている彼女を見つめる。やはり曇っている眼鏡をはずす。また、無言で奪いたくなるのを堪えて、言う。
「伝染るから、もうしない」
「して」
「いいの」
「いいから」
 ぼくも彼女も、そもそも感染しているかなんて、わからない。人と会うことも憚られる時世に、こうして逢っている。そうして、口を合わせている。目から出た雫が頬を伝ってマスクを濡らす。
「じゃあ、行くから」
「うん」
 今日感じた、彼女の「舌の味」( ・・・ )を、いっしょう、忘れないだろうと思う。(了)

 ***キッスは画面越しに投げてすることをお勧めします。創作です。***

愛されているの、に

 愛されていることを知っている
 そういう人がときどきわたしの前に現れては通り過ぎていく
 ときどき留まる人もある
 わたしを産んだ人は、寄り添ってくれる
 わたしは時にそれを拒み、時に受け入れてきた
 
 愛されていることを知っている
 なぜ、その人がわたしを愛するのかはわからない
 でも、なんでかそうするのだ
 そうすることが約束されていたみたいに
 出逢ったなら、そうしてしまうのかもしれない
 そういうものかもしれない
 
 わたしは時に、その愛に気がつかない
 わたしを産んだ人の愛にもずっと気がつかなかった
 それは愛が当たり前にあったからだろう
 それこそ、わたしが生まれた時からそれが当然にあったからだろう
 それさえも、尊いことだった
 わたしが愛に気がつかないことについて、わたしは弁明の余地がない
 気がついていないものに、悔いることも適わない
 失って初めて、というが、失ってもいない
 得てもいない
 愛はある
 だけれど、愛をする人は多い
 よくわからない
 なぜ人が人を愛するのか、よくわからない
 わたしはわたしの魅力に気がついていない
 多くの人がそうであるように
 わたしは自分を好かれてはいけない人間であると思っている
 思ってしまっている
 そういう人は少ないかもしれない
 自信がないのではなく、自分のことを無能としていた
 そうしなくては、生きることができなかったからだ
 それは、わたしの所為である
 だれのせいでもない
 わたしの、持って生まれた何かによって、そういう人間となってしまった
 
 わたしは、愛されていた
 だけれど、その愛を、ほとんど受け取ることができなかった
 そこに、愛はあったのか、というと、たぶんそんなことはなくて
 ただ、愛されていただけだった
 わたしは、愛を受け取ることができない意固地な人間なのか
 それとも、愛がわからない人間なのか
 それさえもよくわからない
 
 愛というものがわからない
 人間というものがわからない
 なぜ愛するのか、愛してしまうのか
 なぜそこに愛はないのか、わからない
 愛は人間の間にあるのではないか
 愛はするものではなく、あるものではないか
 二人の間にそれを認知した時にはじめて、愛することは叶うはずなのに
 ただ、一方的に愛を持つことを、愛すると呼ぶことについて
 それが的を得ないことの
 その拙さの
 その先に、わたしは生きている
 わたしは、生きている
 わたしは愛されている
 わたしは愛されて生きているのに

彼女は、胸を張って、

 うまれてはじめて、人を好きになった
 わたしは、その人と会えなくなったことをうらめしく思った
 さまざまな困難に及んで、わたしは死んでいいと思った
 でも、それはわたしの気やすめの気まぐれでしかなかった
 生をおろそかにすることを、彼女はとても悲しむだろうと、簡単に想像がついたのだった
 彼女でなくてはならないとは思わないけれど、誰かを選ぶのなら、彼女しかいない
 いま、彼女に選ばれる人間であるだろうかと思う
 過去に何があったとか、彼女といたときをどう過ごしただとか、そんなことでもなくて、
 わたしは彼女に顔向けのできる生活を、人生を、送っているだろうかと

 わたしは、あの夏に、恋に落ちた
 はじめての恋だった
 彼女は、初めてわたしを受け入れてくれる気がした人だった
 彼女の職能からそうしたのかもしれないし、それさえも考え過ぎなのかもしれない
 彼女の特別をわたしは感じたし、でも、わたしは彼女に何かを感じさせただろうか、と思う
 彼女に、あるいはこの世界の誰かに、見合う人間であるだろうか
 ひたすら自問し続ける日々が、始まる

 恋に落ちたとき、恋が落ちたと思わなかった
 ただただ、焦がれていただけだった
 今、わたしは、彼女に選ばれる人間だろうか
 彼女は、胸を張って、わたしを選ぶだろうか
 わたしは、そういう人間になれているだろうか
 芯を食って、自分を昂めているだろうか
 無能であろうとしている場合ではない
 なんとかしようと焦燥している場合でもない
 誰かに見合う誰かなんて、いない
 ただ、自分に納得がいくのか、というだけなのだ
 ただ、自分がそうあることを、自分に許すだけだ

 あの夏の、あの部屋の、
 あの日々
 わたしは、生きた
 彼女は生きさせようとした
 その続きを、わたしは生きている
 彼女は、そうしているだろうか