人がいろんな面を持っていると、ぼくは忘れがちだ
おもく、くるしい、脳。
脳はひたすら回らず、私はただ寝ていることしかできない。
人を思う気持ちは、逆さに働き、私は苦悩する。
何もかもがどうでもよくなってしまう瞬間があって、
私はただひたすらに寝ていた。
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人の一面を見たからといって、それがその人の全てではなく、
また別の面を見たからといって、それもまたその人の全てではない。
印象に感情を左右されているというだけで、その人の本質はまた別にあるのだ、そう思いたいのだ。
ただその人があるというだけで、その人は生きていて、僕たちに何かを訴えかけてくる。そのことにはなんの教訓もないし、経験を得るということでもない。ただその人はいるだけなのだ。それでいいのだと思う。
さまざまな面を持つ、人間の人格は一ところには把握できず、ただ嫌な印象だけを残して、僕を病ましていた。いちいち真に受けるぼくは、それを直裁に浴び、その人をこういう人だと決めつけそうになっている。
でもたぶんそれは間違いで、人にはいろんな面がある。そのことを忘れてはいけない。
追い詰められた身体は、精神をおかしくする。常軌を失う。狂った人の相手をすると、こちらまで引き込まれそうになる。少々、冷静さを欠いていた。私は依存している。人を助ける自分に酔っているだけなのだ。
どうにも動かないこの身体と心をもって、ぼくは自分をなんとかしなければならない。できない要因は前提でしかない。そこから、何をできるのだろうか。やる意思があるのだろうか、ということだ。やる。やってやる。
いっそ、楽になりたいと思ってしまう。何もかもを放棄しようとしてしまう瞬間がある。蔑ろになる瞬間がある。
丁寧に、生きたい。