どんなに高く飛ぶ鳥よりも想像力の羽根は高く飛ぶ

自分の"楽しみ"を書いて、自分だけが救われるんなら、それは言葉ではないんじゃないの。言葉は人のものでもあるんだから。

奮闘するおとこ

「書きたいんでしょう、書くべきだ」
「この前の話、あれ、面白かったじゃないですか。読みたいので書いて下さい。お願いします」
 向こうにいるはずの“書き手”である誰か、は此処からは見えず、声は聞こえない。ただ、一人の声だけがこの部屋に響いている。
 「いつも書きたがってるじゃないですか。なんで書かないんですか。アイデアはたくさん出すのに。そのどれもが面白いのに。なぜあなたはそれを具体的にしないのか」
 この部屋にいる皆が耳をダンボにしている気がしてくる。パーテーションの向こうで、“書き手”は、ボソボソと喋っているらしい(・・・)。が、その声は此処まで届いてこない。ときどき揺れる影に話者が応える。
「違いますよ。僕はあなたの書いたものを面白いと思うから。それを世に問うべきだと思うから。僕が全部やりますから、やって下さい。書いて下さい」
 だんだん声が荒んでくる。“書き手”は逡巡しているらしい。ボーイがコーヒーを持って二人の空間に入ろうとしているが、なかなか入れない。
「なんでって。わたしは知っているから。あなたが本当には書きたがっていることを。口には出さなくてもわかりますよ。あなたは、書かなくては生きていけない人でしょう。生きてはいられない人でしょう。自分をそうやって昂めることでしか、生きられない人でしょう」
 そんなことはない、と微かに聞こえた気がした。相変わらず沈黙が流れてはいるが、“話者”が黙っているだけで、“書き手”が喋っているのかもしれない。
「面白いから、やりましょう。僕はこれしか言いません。とにかく、やりましょう」
 ひとり奮闘しているこの男は、余程に“書き手”の書くものを気に入っているのだろう。落としにかかっている。“書き手”の声はやはり聞こえてこない。男は置かれたコーヒーを一気に飲み干して、言った。
「隅っこであなたが苦しんでいるのを、ぼくは看過できない。こういうことのためにわたしはこの仕事をしている。何度でも言いますけど、世に問うべきです。あなたの文章を。あなたの思いを。あなたは人を楽しませることが好きでしょう。それでいいんです。それだけで、いいんですよ」
「やりましょうよ、宮さん」
 “奮闘する男”は哭いているのではないか。
 そこで待ち人が来たので、わたしはそこを去ったのだった。