どんなに高く飛ぶ鳥よりも想像力の羽根は高く飛ぶ

自分の"楽しみ"を書いて、自分だけが救われるんなら、それは言葉ではないんじゃないの。言葉は人のものでもあるんだから。

おたまじゃくしの香り

 精液の匂いなんて嗅いだことがないはずなのに、わたしには、なぜかその香りが精子の匂いだとわかったのだった。それが生死の匂いだったからかもしれない。我々は、全部、“そこ”から始まり、そして、性交のたびにわたしたちは小さく死んでいる。
 窓ガラスに雨がしたたるのが見えた。
 午前のその交わりのあと、遅い食事を摂ると、わたしたちはその家を出て、辺りを歩いたのだった。彼は傘を差さず、わたしはご自慢のそれを差した。濡れた彼を見たくなって、そのままふたり歩いた。
 外は風が強く吹いていて、それは春の嵐であって、二人に巻き起こっている“それ”とは無縁だった。
 彼の先端から飛び出した“それ”は、わたしの太腿に当たり、集まって、ちり紙に移されて、ゴミ箱に消えた。命の種をそんなにぞんざいにしていいのかと彼に訊いたが、いつもそうしているという。
 いっその事、わたしが雨に濡れたなら、付着した精液が流れたかもしれない。そうしていたなら、下水にいる黒いおたまじゃくしと彼の“それ”が結びついて、おたまじゃくしと人のハーフになる……という妄想をしていたら、もうわたしたちは彼の家にいて、彼は寝てしまっていたのだった。カエルと人の半獣半人を描いた話を読もうと思った。
 夕方になって、父の訃報を聞いて、わたしはその家を出たのだった。彼に書き置きを残しながら、父のことを想った。いままで父のことで泣いたことなんてなかったのに、不意に涙が流れた。
 父の“それ”から始まって、彼の“それ”を受け止める時までに、いろんな連なりでわたしは生きていたのだ。そして、わたしの性は、これからも、か細く続いていくのだろう。
 彼を、愛そうと思った。
 “わたしたち”は、創造できるのだ。この胎内で。
 いつか来るそのときを、今から待ち望んでいる。
 わたしはわたしの子らに、人生の素晴らしさを伝えられるだろうか。
 この世は生きるに値すると、言えるだろうか。
 わたしは、人生を楽しんでいるだろうか。
 連綿と受け継がれてきた、このいのちの記憶を、繋ぎたいと思っている。
 “おたまじゃくし”の匂いを嗅ぎたくなって、わたしはまた、彼の家を訪れたのだった。