どんなに高く飛ぶ鳥よりも想像力の羽根は高く飛ぶ

自分の"楽しみ"を書いて、自分だけが救われるんなら、それは言葉ではないんじゃないの。言葉は人のものでもあるんだから。

ジブリの3人について

 ぼくがスタジオジブリを好きなのは、そこにいる人々の関係性によるところが大きい。映画そのものがわたしにとって魅力的ということだけでなくて、どうしてこういう魅力的な映画を、たくさん連続して(異常なほどに!)創ることができたのか、というその組織としての秘密が垣間見えるのではないか、という興味なのだと思う。ジブリは人気がある。だからこそ、ラジオ、雑誌、書籍などでたくさんの話が当事者から語られる。
 そこから抽出したものは自分なりの解釈でしかないのだけれど、自分にとってはそれこそが面白いことなのだ。
 例えば、プロデューサーの鈴木さんが「鈴木敏夫」になれたのは、高畑勲宮崎駿両監督と出会ったからなのではないか。この関係は仕事仲間とか友人とか、そういう言葉を超えているように見受けられる。互いが刺激し合い、闘って、彼らはこのような関係を作り、そして、こういう映画群を創ったのだ。この3人のうち誰が欠けてもこうはならなかった。もちろん鈴木さんがもともと優れた人であったことは間違いない。だが彼が映画を創る人であったわけではない。出会いによって彼は何かを獲得したのだと思う。もちろんそれは有名になるということではない。この3人が3人であるための何か、を彼は獲得したのだ。それによって高畑・宮崎の創るものは、なにか特別なものになっていったのではないか。それはつまり、けしかけるという技術である、と僕は思う。
 映画を創る・造ることをけしかけるという覚悟。そしてその責任。様々な厄介ごとがのしかかってくる状況に於いて、鈴木さんを動かしたのは、おそらく、とにかくこのふたりの創る映画を観たい、という気持ちだったのではないか。
 この「ふたり」はほおっておいても創る人なのだ、とわたしは思う。ただその機会を作る、具体的には、場や人材など、ひいては資金なのだと思うけれど、それを綿密にお膳立てすることも鈴木さんの役目の一つだったのだと思う。
 鈴木さんは作品の具体的なエピソードにも影響を与えている。というかアドバイスもしているし、相談に乗っている。信念を持って強行することもある。
 幼少からの映画好きと自ら語る。しかし、だからといって映画好きな人が全員そういうものを手に入れるわけではないと思う。あの「ふたり」と映画について渡り合うのだ。どこかで「それ」を手に入れたのだろう。そのことに興味がある。鈴木さんは高畑・宮崎が関心を持っている本を読破し、彼らと議論し、話した内容を喫茶店でノートに書きつけ、まとめたという。そうやってこのふたりのよく考える知の巨人の信頼を得たのだと思う。人が話しをしているのを聞いている時、その相槌が大事なのだ、と彼は言う。知識や理解度はその相槌に現れる。そういうことを技術として話す。だがそれを体得した裏にはとてつもない努力があったに違いない。
 そもそも『ナウシカ』『ラピュタ』のプロデューサーは高畑勲であった。その合理的な任務の遂行から鈴木さんが何かを得たのは間違いない。しかしそのことはそれほど語られてこなかった。
 高畑さんは、そう創ろうと思えば超ヒットする作品を創ることができた人なのではないか、と思ったりする。これは妄想であり希望であり、戯言であったのだが。そういうものを創らないのは価値観の問題なのだと思う。現に『ハイジ』の時にはそうしたのだから。その作品群を観れば、これらがどこまでも意図している、ということを察することができる。お金を儲けることが全てではないかもしれない。届く人に届くのが良いのではないか。そんな匂いがする。アートに振るか、漫画映画に振るかということ。わたしは高畑監督の映画も大好きだ。こういう映画がこの世にあって良かったと、心から思う。それでわたしにとっては充分なのだ。
 ヒットという概念を持ち出すと宮崎映画がむしろ異常なのだと思う。
 宮崎さんが評価されて注目され始めた頃、宮崎さんがテレビに出てどういう振る舞いをするのかに興味があった、というような趣旨の発言を鈴木さんがラジオでしていた。そういった視線・振る舞い・関係性は宮崎さんの人格に何らかの影響を与えていたと思う。それ以前に鈴木さんはアニメージュ編集長としてメディアに露出していたそうだから、そういった経験もあってのことだったのかもしれない。メディアに出ることは大変な影響もリスクもあることだし、そこは人間性が露わになってしまう魔境かもしれない。不遜になったり自分を見失ってしまうかもしれない。有名になることは誰にでも降りかかることではもちろんないが、そういうことも含めてどう捉えるのか、何を表現するかということに興味があったのではないか。そこで鈴木さんが宮崎さんになにを言って、その結果どう思ったのかはわからない。けれど、「人間」ということを考える時、あるいは「名誉・もしくは有名になること」を考えてしまう時、わたしはそのことを思い出す。
 「落ちぶれても付き合いますからね」と鈴木さんは宮崎さんにかつて言ったのだそうだ。
 ここには書かなかったエピソードから、手放しでこの「3人」が必ずしも立派なだけの人間であるとは思わない。が、立派な人間などこの世にはきっと存在しない。この3人の関係を、なんと表現したらいいのか、わたしにはわからない。彼らの関係、それは縁がむすんだ戦友であり、その関係があの映画群を創り出した端緒であることは間違いない。
 この3人のことに私は興味が尽きない。
 高畑さんの逝去を、ぼくは悔しく思っている。