どんなに高く飛ぶ鳥よりも想像力の羽根は高く飛ぶ

自分の"楽しみ"を書いて、自分だけが救われるんなら、それは言葉ではないんじゃないの。言葉は人のものでもあるんだから。

「ありがとう」と言うとき

 母は娘であるあたしにありがとうと言ったことがほぼない。そう言われそうな状況で、そういった感謝の言葉を聞いたことがないと思う。ただ一度を除いては。
 一時期、あたしは人間不信になってしまっていた。そうなった理由もあるのだけど、ここには詳しく書かないし、書く必要もない。とにかく人間不信というか、ただ世界には自分だけが居るつもりで生きていた。人にどう思われようとどうでもよかったし、ただ自分の振る舞いとか、自分の存在とか、あらゆることがあたしにとってはどうでもいいことになってしまっていた。友達もそれなりにいたと思うのだけど、その潮の引きはとても速く、とにかくあたしは一人だった。両親さえも本当の両親ではないかのように感じていたくらいなのだ。それは絶望とは程遠い、もっとちゃんとした闇だった。とにかく生きるよすがを失っていた。いま生きていることが不思議だと、ときどき思う。
 そんな折に家のファックスが壊れたので見て欲しいと母に言われたのだった。あたしは当時、ひたすら寝ていたのだけど、たまたま起きている時で、たまたまその気になって、ちょっと見て、やるべきことをやった。それで母の手に負えなかったその機械は息を吹き返したようだった。
 母がお礼を家族に言わないのにはたぶん、わけがあると思う。家族なのだからいちいち感謝の言葉を伝える必要がないと思っているのかもしれないし、ただ照れ臭いのかもしれない。母のことだから、なんらかの思想があるのかもしれない。運命共同体としての家族であるのだから、することしてもらうことについて、いちいち何かをいうべきではないのだ、とあたしも思う。感謝の言葉をもらうために家族に何かをするわけではないし、家族に対しては、いつだってベストを尽くすべきだ、と思う。だから、お礼なんていらないんだ、と思う。
 だから、ファックスを直した時に、母から出た言葉をあたしは忘れることができないでいる。それは、人を信頼させるための言葉だったと思う。あたしの人間不信を解かすつもりの言葉だったに違いない。それは、ここぞ、という言葉だった。
 その時に母は、母としては違和感があるほどに大きな声で、こう言ったのだった。
 「ありがとう!!」
 そうやって、あたしは救われたんじゃないか。そう思うんだ。