どんなに高く飛ぶ鳥よりも想像力の羽根は高く飛ぶ

自分の"楽しみ"を書いて、自分だけが救われるんなら、それは言葉ではないんじゃないの。言葉は人のものでもあるんだから。

目標がその日その日を支配する

 なぜ、私がし尽くすことができないのか、支配されないのか、って、それは簡単で、言い訳するからだと思う。手を抜く言い訳、休憩する言い訳、やらなくて済むようにする言い訳。言い訳には見えない言い訳もあるだろうし、もしかしたら、それをしたいということさえも、自分を偽っているということがあるのかもしれない。
 本当にしたいのはなんなのか、ということときちんと向き合っていないと、大事なことを見失う。承認欲求を満たしたいのであれば、何か別の方法がいいのでは、とか、お金がとにかく欲しいのであれば、もっと楽な方法があるのでは、とか。
 私は見栄を張ってしまうから、外面の良いようなことを言ってしまいがちだ。認められたいわけじゃないとか、お金が欲しいわけじゃない、とか、あるいはその逆に、やっぱり認められたい気持ちはあるし、お金も少しは欲しい、だとか。それはおそらくどちらも本当なのだと思う。
 ただ、それを達成するための手段として、それをするのが正しいのか、真っ当なのか、あるいはそれで達成できるのか、というと、とたぶんそんなことはなくて。お天道様は見てる。
 欲望もあるし、嫉妬も人並みにする。認められたいし、お金がなければ生きていけない。そういうことをどこまでやりくりして、自分を納得させるのか、ってこと。カッコつけたことだっていうだろうし、見栄もそれなりにある。
 だんだんと自分を信じることができなくなってくる。
 書くことが好きだ。書くという表現が好きだ。それをして生きていくことができたなら、どんなに良いだろう。具体的な野望や目標を持つというよりも、ただ書いていたい気持ちがいまは強い。書くことに、その日その日を支配されたい。どこまで捧げられるのか、わからないでいる。

 「目標がその日その日を支配する」

書き続けられるのなら。こんな幸福はない。書くことのない人生なんて生きていたって仕方ない。なんて、カッコつけたこと言ったりして。
 一日いちにちを生きていくことには変わりない。一日の時間も決まってる。いつ死が訪れるかもわからない。支配しているものが、その人の格を決めるだろう。執着(とら)われたっていい、書き続けられるなら。なりふり構わずに。言い訳している暇はなくて。「書くこと」それさえできたなら。
 目標を設定して意識していれば、その日にやるべきことは決まってくる。毎日課題を立てて、達成していく毎日はとても充実するだろう。いい人生を。