波よせて
ぼくと彼女の会話の途中で、彼女は急に黙ってしまったのだった。そのとき僕らが話していたのは、いま僕たちの目の前に広がっている空の蒼さと海の碧さについてだった。興奮してまくしたてる彼女の横顔に見惚れていた僕は気もそぞろで、そのことに気がついた彼女は、向こうを見つめたまま黙ってしまったのだった。
その瞬間、彼女が何かを考えていたことは言うに及ばず、しかし、ぼくにはその気持ちを察することは叶わなかった。彼女はむかしの男のことを考えていたのかもしれないって思う。
いま、僕には目の前にこの人がいるだけで、それだけで幸せだった。彼女はほとんど表情を変えずにこちらを見て言った。
「どうしたの?」
ぎこちなく顔だけを彼女から背ける。僕の目には汗なのか涙なのか、いつのまにか液体があった。
ふふ、と彼女はかわいらしく笑うと、また向こうを見やった。
「君がいま何考えてたか当てよっか?」
ふふ、とまた笑って彼女は続けた。
「いま、私が何考えてたのか考えてたでしょ」
笑おうと努めれば努めるほどに、うまく笑顔を作れていない自分を認めつつ、僕は肯いて、彼女の次の言葉を待った。
「えへへ。男の人ってみんなおんなじね。よく知りもしない女のことを知ろうとするのね」
「だって、あなたは素敵だから」
「そうかしら? 好きな人に好かれなかったら、意味ないわ」
彼女の瞳から涙がすーっと流れて、僕は自分の情けなさを口惜しく思ったのだった。ぼくにはこの人を幸せにできそうにないんだとその時に悟った。
いつの間にか空に増えた雲が、遠くで啼いているような気がした。