どんなに高く飛ぶ鳥よりも想像力の羽根は高く飛ぶ

自分の"楽しみ"を書いて、自分だけが救われるんなら、それは言葉ではないんじゃないの。言葉は人のものでもあるんだから。

みんな幸せになってしまえ

 ぼくが生まれた時に、ぼくに掛けられた魔法。ぼくという人間を認めてくれた人を根こそぎ幸せにしてしまう魔法。でも、それは、ぼく自身がその人を幸せにするとは限らなくって、ぼくのいないところで他のだれかがその人を幸せにするってこともありうる。認めることをトリガーとして、その人は勝手に幸せになっていく。
 人が人を認めるなんて、普通はそうそうない。だってぼくはどこにでもいる普通の人で、なんの特徴もなく、ちょっと不自由にこの世界に生きていて、それだけでぼくを認めることの希少さがわかるといっていいくらい。だからこの魔法で幸せになる人なんて今まではほとんどいなかった。たぶん両親とか、少しの友達たちとか。そのくらいだけだった。
 今ぼくはぼくを認めていないのだから、ぼくはぼくを幸せにしていない。
 ぼくを認めてくれる人によって、ぼくはぼくを認められるようになるのだとしたら、ぼくはそれによってぼくを認められるようになって、ぼくはぼくを幸せにできるかもしれない。
 ぼくを認めてくれた人は、この魔法によってその人で幸せになったらいい。
 ぼくはぼくを認めてもらえるように、ぼくなりにいろんなことを尽くしていく。そうやってこの世界において幸せである人を増やしたいと思っている。つまり、ぼくが人に認められるようになればなるほど、ぼくはぼくと関わった人を幸せにすることができる。そうやって認められれば認められるほどに、ぼくはぼくを認めることができるようになって、ぼく自身も幸せになれるかもしれない。
 思えば、これは呪いであるのかもしれない。自分が人に認められない限りは、誰も幸せにはなれないのだから。
 今日もぼくは自分にできることをし尽くして、自分を認めてくれる人を探し続ける。誰かを幸せにするために。自分が幸せになるために。
 人の縁は認めることでつながっていくのだとしたら。そこから幸せについての何かが始まるのだとしたら。ぼくはこの「魔法」を信じている。