どんなに高く飛ぶ鳥よりも想像力の羽根は高く飛ぶ

自分の"楽しみ"を書いて、自分だけが救われるんなら、それは言葉ではないんじゃないの。言葉は人のものでもあるんだから。

写真

 正月に実家に帰るのなんて、何年振りだろう。特別に忙しいというわけでもなく、ただ実家に寄り付かないわたしは、きっと、親不孝者なのだろう。
 久しぶりに顔を合わせた母は、いちおう元気そうだった。父も父で元気らしい。
 あんたの小さい頃の写真が出てきたのよー、なんて出してきたアルバムを開くのは、なんだか怖くもあった。アルバムだけ置いて近所の家に向かった母は、何の気なしなのだろうけど、わたしは、そこで、どんな顔をしているんだろう、って。
 父も母も写真がやたら好きだった。下妹の写真が極端に少なくなるのは世の習いである。親は下の子の頃には子育てに飽きてしまっているのだ。わたしの子供の頃には、まだ、カメラもフィルムで、やたら現像にお金が掛かった。今みたいに簡単には撮れなかったはずの写真。それでも、ことあるごとにカメラにお熱だったふたりは、なんだかおかしかったのかもしれない。今のカメラを思えば、だけど。
 それに、当時のわたしの気分を思うと、やはり、アルバムを開くのは勇気がいった。まぁ、正月にもろくに家に帰らない自分を思うと、自分にとっての「家族」という意味も、なんとなく分かってもらえるかもしれない。
 それでも。なんか、開いたのだ。ちょっと自分に対してのイジワルな気持ちで。お前、そこでどんな顔してたんだよー、って。自分のぶすっとした顔でも見たら、なんだか、今の心持ちも、スッキリするんじゃないかと思ったのだ。
 ままならないことは、ままならないまま。どう足掻いたって、無理なものは無理。そう頭ではわかっていても、やっぱり、煮え切らない気持ち。わたしはちっちゃい頃からずっとそうなんだ、と思えたら、すこしは楽になるんじゃないか。
 開いたページの一枚目の写真。わたしと姉の両隣に写っているふたり。両親の若いすがた。
 自分だって当たり前にふたりを知っていたはずなのに。
 若くて、たぶん希望を持っていて、満たされていて、ふたりは幸せだったんだ。欠けたものばかりで、でも、満たされてた。そんな顔がそこに写っていた。
 一緒に暮らしている人の日々の老いを顕著に知ることは、たぶん、人間にはできない。今、たまに会う両親だって、すでに老いたあとの両親で、前回会った時から、そんなに見栄えも振る舞いも心持ちも変わらない。昔から、変わらないように思ってた。でも、そうじゃなかったんだ。当たり前だけど。
 みんな、なんとなく老いていって、なんとなく死んでいく。たぶん、わたしだってそうなのだろう。
 その日の夕食のとき。ちょっと小さく見えたふたりを、わたしはなんだか愛おしく思ったのだった。
 今年の春に、また来ようと思った。