どんなに高く飛ぶ鳥よりも想像力の羽根は高く飛ぶ

自分の"楽しみ"を書いて、自分だけが救われるんなら、それは言葉ではないんじゃないの。言葉は人のものでもあるんだから。

したいこと、それから、生きていくためにすること

 どんなにできると思っても、できていない。そういうものなんじゃないかと最近は思う。それに、自分のやりたいことがそのままいつか自分のできることになるというわけでもない。向いているとも限んない。
 今やっている仕事は、たまたま成り行きでやっているようなことなのだけど、それなりに人の役に立てるようになってきたのかな、と。そのことは僕にとっては思いもかけないことだった。そういうこともあるんだなー、って。
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 だけど、それをしていないと生きた心地がしないことってのがある。それはできるとかできないとか、全然関係がない。それによって生かされて、それを活かすつもりもなく、ただそれをしていないとやってらんない、ということがある。頼むからぼくからそれを奪わないでくれ、というようなことが。
 それについて人がどう思おうが、どうでもいい。何かが伝われ、とも思っていない。それが役に立つとも思っていない。そういうことだってある。
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 だからといって、生きていかなくてはならない。養うべき人ができた自分は何だかいろんなことが変わったと感じる。簡単には死ねない身体になった。だからこそ、えも言われぬ感情が湧いている。
 当たり前のことだから何度も書くけれど、私という人間を負っているのは自分自身だけでなく、自分の周りにいる人もなんだ。
 そういうふうに生きることができていなかった自分のことが、恥ずかしい。
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 なんだかその両輪、つまり、「しなくては気のすまないこと」と「生きていくためにすること」その両輪で人生を回していくのかなぁ、と思う。他の人がどうやって生きているのか、よくわからないけど。たぶん、生きていったらいろんな執着も外れるし、気分も変わるし、それによって生きることも変わる。臨機応変に生きられたらいいと思う。どうあったって、生きていける。きちんと察知して、考えて、行動できさえすれば。それが、難しいんだけど。
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 最近は、たまたまいろんなことを考えることができているので、書くことが楽しいのです。
 なにか思うことがあったなら、伝えていただけると、うれしい。
 書いてるだけでなく、きちんとそれを実現できることを願ってる。ぬかりなく、です。