どんなに高く飛ぶ鳥よりも想像力の羽根は高く飛ぶ

自分の"楽しみ"を書いて、自分だけが救われるんなら、それは言葉ではないんじゃないの。言葉は人のものでもあるんだから。

空の青さをみつめていると、

 空の青をみつめて、思い浮かべること
 それは、
 懐かしいということでもなく、
 怯えるということでもなく、
 ただ、気分が軽くなるというだけでもなく
 青空と向き合うとき、吸い込まれていくわたしの中のなにか
 それが吸い込まれるたびに、わたしは絶望する
 青空をみるたびに、わたしは自分を取り戻す
 絶望することでわたしは正気となっている
 わたしを打ち砕く全ては、蒼天へとかえっていく
 「わたし」だけがここに残り、また、次の「(絶)望」に向けて歩いていく
 だから、わたしは青空をみるとき、
 懐かしいというわけでもなく、
 おびえるというわけでもなく、
 気分が軽くなるというだけでもなく、
 こころから歓ぶのです