どんなに高く飛ぶ鳥よりも想像力の羽根は高く飛ぶ

自分の"楽しみ"を書いて、自分だけが救われるんなら、それは言葉ではないんじゃないの。言葉は人のものでもあるんだから。

大志と共に海を渡る

 まいにち体重計に乗らないと、自分のなりたい体重になることは、たぶんない。
 近づくことも、遠ざかっていることもわからない。
 自分の今の体重を知らなければ、理想体重を設定することもできない。体重という数直線の上で、その人はどこにも存在し得ない。
 それでいいこともあるのかもしれない。知らない方がいいこともあるんだろう。
 それが逃げでなければ、ということだけど。
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 自分の現在の能力を知らぬ人に、理想も目標もない。
 砂浜から泳ぎ始めても、辿り着くのは元にいた岸なのだろう。
 それでも、その人は”わたしは何処かに辿り着いた”と思うのかもしれない。
 海の向こうにあるものについて、想いを馳せることは楽しいことだ。でも、実際にそこにいく人は少ないのかもしれない。
 今いる場所が楽園なのなら、それが一番いいんだろう。
 命を削って旅に出る理由は乏しいように思われる。そうしない理由は山のように思い浮かぶのに。
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 言い訳を始めたらきりがない。言い訳を感じている時点でわたしは弱い人間。言い訳を言い訳と思っていない人も世の中には大勢いるのかもしれないけれど。
 言い訳を感じることもなく、そして、自分の中に予断のない人もいる。たぶん、おそらく、きっと。
 そういう人たちが大志と共に海を渡っていくんだろう。
 航海に出る理由は乏しいと上に書いた。
 けれど、たった一つの『美しさ』が、人を動かすこともある。
     たった一つの『歓び』、それで人が動くのに充分なのだ、とわたしは思う。
 どうか、ご無事で。
 よい人生を。