どんなに高く飛ぶ鳥よりも想像力の羽根は高く飛ぶ

自分の"楽しみ"を書いて、自分だけが救われるんなら、それは言葉ではないんじゃないの。言葉は人のものでもあるんだから。

自分にそれをやめることを許してしまう

 いまのぼくに、報われるべきなにか、あるだろうか。
 なにかの願いをもってそれをしているだろうか。
 それによって、なにも起こらなくても構わない、と思ってる。
 本当にそう思っている。
 だからと言って、それが自分の目一杯か、というと、たぶんそんなことはなくて。
 どんなに人に認めてもらえている感じがしても、なんだかいつも自分のことを不甲斐なく思ってる。
 自分はとことんに運が良いと思う。
 運が良いからこそ、まだ自分がやる余地があると思う。
 どんな運勢だって、きっと、人の役に立つことはできるんだろう。
 いまは、ただ、運が良いだけ。
 だから、人の役に立てているように見えているだけなんだ。
 いつか、気を抜いたら、人を裏切ってしまうんじゃないか。
            いまできていることができなくなるんじゃないか。
 そういうような、漠然とした不安がずっとある。
 まったく人に及ばないことは多い。とても、多い。
 そんな状態で、自分がなにかをできる、なんて思えない。
 運が良いとしか思えない。
 意志を失ってしまうことが怖い。くじけてしまうことが怖い。
 疲労すれば、頭は回らない。そのフラストレーションは、ずっと拭えない。なんとかしていくしかない。
 恐れるべくは、自分からなにかを失ってしまうこと。
 意志を失うとしたら、自分でそれを許すからだろう。
 くじけるとしたら、自分でそれを許すからだろう。
 いとうくんは、もっと報われるべきだ。いい思いをするべきだ。いろんな人と会うべきだ。そう言われても、自分にはまだまだ底も天井もなく、井の中の蛙に過ぎず、そして、なにもできない。
 報われなくても、いいと思う。楽しく過ごすことができたなら。それだけでいいと思う。楽しいことは、報われることとは関係がないもの。
 報われたいと思ったら、きっと、自分にそれをやめることを許してしまうんだろう。
 まだまだ人生は楽しそうだなぁ、って感じです。