きれいなことば
一生を共に過ごすのなら、「ことばのきれいなひと」がいい。
それはもちろん声がきれいな人という意味ではない。言葉遣いが綺麗という意味だけでもない。
そのひとの想うことを、きちんとひとに伝わるようにことばにできるひとのことだ。或いは、伝えようという務めを惜しまないひとのことだ。
そういった精神や技術や心意気や、丁寧さや、情熱あるいは冷静さの表明や、自尊心や他者への敬意や存在への敬意があるだけで、そのひとのことばはきれいなのだ。
そういうひとと一緒にいられたなら、きっと、幸せだろう。
他者への敬意とは、つまり、自分と相手の距離感や関係を把握するってこと。そして、自分と相手の違いを引き受けているかどうかなのだと思う。それは話し相手を理解できているかどうかに謙虚であるってことでもある。
そういうひとは、相手の話していることを素直に解釈し、話し相手が会話を理解しているかどうかを察する余裕を持っている。衝動にまかせたとしてもそのときに適したことばをあつかうだろう。
ひととわたしは、しぐさや、ふるまいや、態度や、それからことばをもって過ごす。
そのひとのことばを、最期まで信じることができる。
本当に想っていることを、自分の中にさぐってさぐって、ほってほって、かき出して、精緻に表現しようとするひと。
ことばでは、伝わらないこと。
ことばでないことで伝わってしまうこと。
ことばだから伝わること。
ことばでしか伝わらないこと。
ひとに伝えるだけでなくて、「伝わる」ようにすることのむつかしさよ。
その本性は、どこまでも感覚的で、どこまでも理屈っぽくて、それから、うつくしい。
そういうきれいなことばを吐くひとと、出逢えたなら。
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死の淵、きくことばは、きれいなことばがいい。