目のさよなら
どの瞬間が、その子と目の合った最後だったのか、思い出すことのかなわない別離。
どんなに素敵だと思っていても、それを口にしなくては、伝わらない。今は目の前にいたとしても、いつかはいなくなってしまう。
その子が目の前からいなくなったら、思うだろう。あの子と心が通っていたのはいつまでだったろうって。
だれかと心が通っている、なんてふつうは意識しない。目が合っているとさえ思わない。心が通っている、なんて、ただの勘違いなのかもしれない。相手には、ぼくなんてどうでもいい男のひとりだったのかもしれない。
でも、思わなくては仕方がない。
そういう様に思いたいのかもしれない。
こころが、通じていた、って。
あの子がぼくに向かっておどけて出した舌を、可愛らしいとおもった。尖らせたくちびるがせくしーだとおもった。彼女のいろんな顔を見たいとおもっていた。
いつの間にか、目を見ていた。
見ていた。彼女も。
だから、目が合ったんだ。
それは、まやかしではない。勘違いでもない。
彼女は、じぶんがぼくの前からいなくなることがわかっていたのだろうか。いつが、彼女と目の合った最後だったか、思い出せない。
なにかを、彼女は残していなかっただろうか。なにかの、目印を、きっかけを、とどのつまり、想いの端を。それから、「さよなら」を。
彼女がいなくなってから、彼女を愛おしいとおもっていたことに、ぼくは気がついた。
どうしたのかと、ひとに問われるくらいに動揺している。
「最後」を想い出そうとしても、いつがそうだったのか、わからない。
失ってから気がついたこの気持ちのやりどころを、ぼくは、知らず。
あてもなくただ悶々としてから、また、誰かを想うようになるのかもしれないと、おもってる。