「ことば」の溺れる時代
この世界にあふれている、「ことば」。
この地球の歴史上、いま、この時にこそ、「ことば」を使う生物個体が一番多い瞬間だろう。
ネットも含めた、公になっている「ことば」だけでも、こんなに繁茂したことはない。
でも、これだけ過多になって、「ことば」はより優れたものになったのだろうか。
「浮き世の壺」に溜まった「ことば」の中に、千年後に残るものがあるだろうか。あるかもしれない。でも、それを選り分けることは、誰にもできない。見出す人もない。
声高に叫んでみても、誰かには届くかもしれない。でも、千年後には届かないだろう。
うららかに語ってみても、その本意が効果的に届くかというと、そんなこともない。
吟味され尽くした「ことば」はどこに集まるのだろう。みずうみというにはあまりにお粗末なストレージの底に溜まった「それ」。ストリームに身を委ねて、それは海に流れ込む。
現代は、海に出るのが容易になった。
海に今日も「ことば」が溺れる。
海水も汲み干せば塩になる。
千年残る塩の結晶は、きっと、うつくしい。