どんなに高く飛ぶ鳥よりも想像力の羽根は高く飛ぶ

自分の"楽しみ"を書いて、自分だけが救われるんなら、それは言葉ではないんじゃないの。言葉は人のものでもあるんだから。

やめること、それから始めること

 ほとんど誰にでも、なにかを始めるきっかけがある。
 それは、興味・関心の成れの果て。

 ほとんど誰にでも、“新人”のときがあった。
 それは、成長過程の端緒である。

 人はいつかなにかを()めてしまう。
 その歩みや、その有り様を。
 その人、本人の意思によって、あるいはなにかの意思によって強引に、あるいは衰弱や
 意志の衰退によって。
 情緒や論理や一貫性を問題にしているわけではない。
 それは無念だったり、救いだったり、
 次の過程への支度であったり。

 そうやって人がなにかを()めると、またなにかを始める。もしくは、なにもしないを始める。

 空はいつでもどこでも青く、そしてどこまでも遠く広がっている。きっと、ずっと、変わらずに。

 無用な過ちなどなく、
 始まったなにかに尽くしつづけることでしかない。

 心は、いつも動いている。だからこそ、その存在を感じることができ、だからこそ、その美しさを捉えることができる。

 どこにでも、きっかけはある。それを探してさえいれば。
 動きの中にだけ、人との接点はあり、だからこそ、その動きは美しい。

 空がいつも(・・・)美しいのは、
 そこに雲を湛えているから。
 その空の向こうに星々を隠しているから。
 雲の運行も、星の瞬きも、ISSの通過だって、空の、その美しさのひとかけら。

 動いている。

 人は、なにかをすることでしか、生きることはできない。
 人は、人と接することでしか、生きることはできない。

 動いている。
 だから(・・・)、生きている。