恋を何年休んでますか
彼女には、ぼくを誘う方法も理由もない。
ぼくにも、彼女を誘う方法もないし、理由もない。
ぼくたちには、互いに誘う理由はない。
彼女がぼくに思わせぶりなのは、なにか理由があるのかもしれない。
ぼくは彼女に確かに惹かれている。
でも、それさえも治療の一環なのかもしれない。
そう思わせて、ぼくに生きさせようとしている。生きる意味を教えてくれているのかもしれない。そうやって治療する方法論があるのかもしれない。あの場所は。そう仕組まれているのではないか。ぼくに恋させることさえも、治療のうちなのだ。だとしたら、それに選ばれてしまった彼女に申し訳ないって、おもう。
そう思えば、これを恋だと思わずに済むし、気兼ねなく、気にすることはないかもしれない。
わたしはどうにも気にし過ぎなのだ。治療のドツボだ。うまくいっているってことだ、生きることが。
人と人が接していれば、それは、好きになったりするものだ。そういうものなのだ。そして、それは時に生きる希望になったりする。そうやってワクワクすることで、生きることができる。そうやって生かすことができる。
恋ほどに、人間の情動を駆り立てるものはない。
ぼくは、このことで、みっともなくなるのがこわい。
情動を掻き立てられるのがこわい。
どう考えても、ぼくの気にし過ぎで、考え過ぎで、そういうところだぞ、という感じだ。
ぼくはそうやって、疑心暗鬼になって病んでいったのだから。
恋の病。
ぼくが、選ばれるわけがないのだ。そうなのだ。普通に考えたら。
そういう治療なのだ。そうなのだ。だとしたら、そういう風に選ばれることは、ありがたいことだ。ありがたいことだ。
治療としての恋をする。そうやって、生き方を学ぶのだ。そういう段階に来ている。
恋は、きっと、どこにだって、転がっている。どうやったって、恋はできるのだ。
ぼくは、また、恋をするだろう。生きる為に。活き活きと、生きるために。
そうやって向かっていくものなのだ。それを、思い出させてくれた。
(恋を、何年休んでますか?)
ってコピーが昔あったっけ。あんな感じで、すっかり忘れていた。恋を。恋するこころを。
これで、生きていける、また。