どんなに高く飛ぶ鳥よりも想像力の羽根は高く飛ぶ

自分の"楽しみ"を書いて、自分だけが救われるんなら、それは言葉ではないんじゃないの。言葉は人のものでもあるんだから。

プレイリスト:ReWrite

「じゃあ、次はこの曲、きいて」
「ん」
 彼はあくまで素っ気なくわたしからイヤフォンを受け取る。自分の好きな曲を彼に聴いてほしくって、こうして肩をならべてコーヒーショップに座っている。彼に聴いてほしい曲は耳を通さなくてもどんな音なのかはもちろんわかっている。前奏も、最初の歌詞はもちろん、歌の伴奏も肝心要なところだって。そのテンポもリズムも心に染み付いている。なんなら今ここで唄ったっていい、とさえ思ってた。
「ふーん」
 彼はわたしにぞんざいにイヤフォンを返してくる。
 イヤフォンが音を出しているもとのスマホはわたしが持っている。彼にはいちおう(・・・・)見えないようにしている。なんか、ネタバレみたいでイヤなのだ。横に座っているから、ジャケットくらいは見えたかもしれない。
 彼は相変わらず、興味ないふりをしている。でも、彼にとっては、本当には好きな人の好きな曲を聴くことになんの迷いもなかったし、それを好きになるであろう予感もあった。もっと動揺したことには、それは彼も好きな曲だったことだ。
「どう? わたしこの曲めっちゃ好きなんだけど、、」
「うーん」
 なんで素直に自分も好きな曲だ、と言えないのか。自分で自分がもどかしくなる。なんだか猛烈に照れている自分がいる。歓びに打ち震える足。こんなことあるんだ、と思う。
 仕方ない、という感じで彼女はまたスマホをいじり始める。
「そんじゃね、これはどうよ」
「うーん」
 こんなやりとりが何往復か続いた。
 結論から言って、不思議なほどふたりの音楽の趣味は一致していた。それだけで縁があると思えるほどに。ヒット曲もそうでもない曲も、アルバムにしか入っていないとっておきの、あの曲だって。
 彼の足はずーっと震えていた。リズムを取っていると誤魔化すことができないくらいに。彼女はそのことに気がついていない。
 イヤフォンのやりとりと、彼にとってだけの心のやりとりが続いてから、彼は自分のスマホを取り出した。ミュージックアプリを開くと、あるプレイリストを表示して、彼女に見せたのだった。
「えーっ! もう、自分のスマホで聴けよ~電池もったいないじゃ~ん」
「いや、かの子のイヤフォン音がなんか良いから、言い出せなかった」
ふたりは喫茶店で互いに笑う。初めて話したときから相性が良いと思っていたけれど、こんなところにも顕れているなんて、なんだか不思議なことだ、と思う。
 一年に何曲の曲がこの世界に飛び出るんだろう。彼女と彼はこれまでの人生に何曲聴いてきたろう。偏愛もそこにはあったに違いないのに。
 わたしは、彼を好きになろうなんて、一度も考えなかった。なんか、好きだった。そのため(・・・・)のとっかかりを探していたような気がしてる。そのためにだったら、なんだってできると思ってた。べつに変に媚びを売るんじゃなくて、ちゃんと、自分を愛されたいと思った。愛したいと思った。
 そういう機会に恵まれたことは幸いだった。彼が応えてくれたのだと、うれしかった。好きな曲が同じだったのは、あくまで偶然なのだけど、それでも、彼がそう言いだしてくれてよかった。イヤフォンが良いからなんて、言い訳に過ぎないんだろうけど。それでも。
 呼び捨てにされたのはその時が初めてだった。それもうれしいことだった。「かの子」ってこういう風に発音する人なんだ、と胸が昂ぶった。初めて聞く、彼の喉から出てくる音だった。愛おしかった。
 私たちは、つい、変なことを考えてしまう。妥協したり、駆け引きをしたり。そんなの本当にくだらない。ぐずぐず口説く男がわたしは嫌いだ。面倒なのだ。逡巡している男ほど醜いものはない。それなら、自分からけしかけて、どんどん、のめり込んでったほうがいい。そんなにわたしは魅力的ではないかもしれない。でも。
 彼はなんだか魅力的だった。なんでなのか。そんなに目立つ方でもないし、顔も良いとは言えないかもしれない。わたしのそれと同等くらいの顔偏差値かもしれない。とにかくそんなに見かけに気を使っているようには見えない。性格はよく知らない。なのに。なんでこんなに惹かれるのか。なんでか彼と話したいと思ったし、なんでか彼と親しくなりたかった。
 見た目で判断されるのが、わたしはとても嫌だった。でも、わたしだってそうしているのかもしれない。そうしないとは言い切れない。小汚い男に声を掛けられたら、警戒するだろう。身なりに気を使っている男に声を掛けられたとしても、やっぱり警戒するのだろうけど、その比ではない。そんな気がする。
 彼のことをよく知りもしないのに、彼に好意を抱いている、自分がなんだか変な気持ちになる。矛盾しているんじゃないか。わたしは、フケツかもしれない。あばずれと言われても仕方ないなんて、大袈裟なのだろうか。そんなに極端なことではなくても、なんだか罪の意識を少しだけ、ほんの少しだけ感じてしまう。
 なにかを好きであるということが、一致することのうれしさ。その感覚が同じであるということのうれしさ。ある価値観が一致しているという、うれしさ。それだけで、彼を好きになるのに充分だと思ってしまう。
 人を好きになっていいのかな、と思う。
 うまくいく恋なんて、わからない。どうあったって、実る恋は実るし、そうでもない恋だってある。
 彼は、なんだか、わたしに自信をもたらしてくれる人だった。