「そうなっている」と書かずにそれを書く
あの人のことなら、なんだって知りたかった。
あの人がどういうことを好きで、どういうことを美しいと思うのかについて。
あの人がどういう人を好きになるのかを。ぼくのことをどんなふうに思っているのかも。
ぼくをどうするつもりなのかも。ぼくと、どうするつもりなのかも。これから、なにをやっていくのか、も。
あんなに、素直な人、いなかった。あんな人に初めて会った。自分をごまかすことを、あの人はしなかった。気持ちが溢れているのが目に見えてわかった。ぼくを蔑んでなどおらず、むしろその逆なんじゃないかと思えるくらいだった。
ああいう素直な人が、成長しているところを見ていたい。どんなふうに成長していくのか、見ていたい。なんなら、そこに関与したい。自分がそこに関わることにこだわりはないのだけど、でも、なんだかそうしたら良いような気がしている。あの人の素直さに、ぼくも学びたい。そういうことなんだろう。
あの人は、かっこいいことを、かっこいいという。素敵なことを、素敵だ、という。そういう人に評価されることは、この上もなくうれしいことだ。
ぼくにはもったいない人なのかもしれない。そんなに美人でも、可愛げがあるわけでもない。でも、たぶん、あの人は自分に自信を持っている人だ。自分のしていることや、為すこと、それに関する感情や感覚に、迷いがないと見ていてわかる。そういう自信を、それがたとえまがい物だとしても、ただ信じているというだけだとしても、それでも、ぼくに分けて欲しいと思う。
ぼくの病気に対して理解のある人は滅多にない。それはあの人の職業からしてそうであり、それについて右に出る職業は、たぶんない。それで、そんな人は、滅多にない。
あの人の、嫌なところだってぼくは知りたい。そういうところがあることも知っている。ぼくがそうであるように。誰もがそうであるように。完璧な人などいない。醜いところがあってこそ、美しい。醜いところこそ、知りたいと思う。そういうところを、正すわけでもなく、認めていたい。そうすることができそうな気がしている。あの人からは、それを受け入れてくれそうな感じがしている。
あの人に、受け入れて欲しいと思っている。
どうやったら、また逢えるのか考えている。
どうやったら、彼女に受け入れてもらえるのだろう。
そういったことは、なるべく出来ることをし尽くして、天に身をまかせるしかないのかもしれない。それで逢えないなら、あるいは受け入れてもらえなかったとしたら、そういう縁なのだろう。逆にいえば、縁があるなら、また逢えるのだろう。なければ、ダメだろう。
それで、なにもかもがダメになるわけじゃない。女がなんだ、世界の半分は女だ、とウソブケバいい。それが今じゃないとしたら、そういうことなのだ。やれることを尽くして、あとは天命に任せるのがいい。