自分の人生を生きること
わたしはぜんぜん現状に抗っていない。いま現在の自分を諦めてしまっている。ある種、今の自分に対して甘えている。そういう状況になったすべての事象や人の思惑や意図や自分の意思の弱さに甘えている。自立心・自律心がないともいえる。何もかもを受け入れてしまっている。だから、わたしはこうしている。こうなっている。
わたしは現在の自分への責任を放棄してしまっている。自分で自分という人間の責任を負っていない。自分のことをどうでもいいと思っているのでは。現在の自分の状況を人のせいにして、それで自分のことをどうでもいいことにしてしまっている。たぶん無意識にそうしている部分もある。こういう現状でいいと思っているのだろう。今の自分のあれやこれやは、人がそう仕組んだのだから、自分に否はなく、したがって自分のすべてが自分のせいではないことにしている。そうやって現在の自分に抗っていない。
抵抗するべきなのに。満足のいく自分なんていつでもどこにもいないし、どうあったっていないのに。
人の言いなりになる事が相手のためになるとは限らない。自分のためになるとも限らない。自分のためにならないことの方が多いかもしれない。人のいう通りにしたって、そこに自分の意思がなかったら、それはその人の行動の代替でしかない。その人の思考の延長でしかない。その行動はその人の思惑でしかない。その人の思考に加担しているだけ。
そうやって自分という人間を造ることになってしまう。そうやってできた人間は、ほとんど自分という人間ではない。
人の操作・規定・定義したわたしが、自分そのものというわけではないだとか、それは他人の決めた人間でしかないだとか、そうやってできた自分を悔いても、時間は戻らない。人の印象を変えることは大変だし、時に不可能だったりする。そうやって自分ではない人間が出来上がる。
現状を受け入れてしまう。期待を受け入れてしまう。それは自分にとってとてもよくないことだ。期待には必ずしも応えなくてもいいのだと知るべき。
人の期待に応える事が、いつも自分のためになるとも限らないし、自分のためになるとも限らない。時に人は自分を利用しようとしているのだ。そのことに気がつくべき。あるいはこちらの道を塞ぐことで得をする人間がいるということに気がつくべき。
自分をもっと良くしようとしていない。少しでもマシにしようとしていない。こうありたいという自分を磨き続けるべきだ。そして、こうありたい自分を追求するべきだ。それを踏まえて行動し続けるべきだ。周りにいる人にもそういう人を望むべきだ。
現状をただ受け入れることは、思考していない。行動も放棄している。ただ生きているだけ。死んでないだけ。抗え。自分に都合よく考えているだけ。行動することを怠けている。
自分の願望にきちんと気がついて、きちんと向き合い、叶えた人だけが、自分の人生を生きることが出来る。そのためになら、なんだってするべき。人の迷惑にならない範囲で。
現在の自分を疑い続けることは難しい。なぜ今現在の自分がこうなっているのかに気がつくことは難しい。それでも、思考し、行動し続けるしかない。そうでないと、簡単に人の人生を生きることになる。
わたしは、自分の人生を生きたい。