どんなに高く飛ぶ鳥よりも想像力の羽根は高く飛ぶ

自分の"楽しみ"を書いて、自分だけが救われるんなら、それは言葉ではないんじゃないの。言葉は人のものでもあるんだから。

じぶんを壊すのをやめること、世界を好きでいるために

 世界を、好きでいたいです。
 わたしと合わない人と距離をとる知恵が欲しい。好きなままでいられるように。せめて、自分を知ってもらえたなら、きちんと知ってもらえたなら、違う結果になっていたであろうに。わたしはわたしを壊してまで、自分を役たたずにしたのだ。わたしをそんなに知らない人の、妄言を適えるために。そんなことする必要あっただろうか。世界を、好きでいたいんです。
 好きでいたい、ということは、今、そんなに好きではないのか、っていうとそんなこともなくて、好きである自分に、自分自身に疑問を持っているんじゃないか。春めいて薄さむい夕暮れを散歩しても、わたしはまだ、わたしを疑っている。わたしが、わたしなんかが、世界を好きでいていいのだろうか、って。好きでいるのは勝手だけれど、わたしを好まない人はそれを許さないような気がしてしまう。壊れている自分の心を認める。
 世界を信じないことにするようになって、どのくらい経つのだろう。世界が成り立っていることが、ときどき不思議になる。わたしは、生きているのに。
 せめて、信じていたい。
 せめて、好きでいたい。
 愛していたい。
 わたしに理解を示してくれる人がいないのは、わたしが拙いからだろうか。わたしは、ぎこちないのだろうか。くだらないのだろうか。
 わたしは、生きるに値しないような気持ちになる。誰からも肯定されていないような気になる。たぶん、そんなことはない、はず。でも。
 誰かに認められることは、好きであることとはカンケイない。誰にも認められなかろうが、わたしは世界を好きでいたらいい。いいのに。
 わたしの好きなひとびと。わたしの好きなものごと。わたしの好きな景色。わたしの好きなかぜ。わたしの好きなおはなし。わたしの好きな。
 世界を、好きでいる。当たり前に。信じている。当たり前に。
 疑うこともなく、あたりまえにそうできたら、どんなにいいだろう。わたしは、わたしを生きているだろうか。人にどう見られようとも揺るがないなにかをしているだろうか。そんな信念あったろうか。自分を役立たずにしたのは、自分である。わたしは、そのときに、わたしだったろうか。
 壊れていくのを感じる。わたしは、わたしを生きたろうか。ただ、世界を好きでいたらいい。自分を守るために。世界を、守るために。自分を壊してなんかいられない。世界を、壊してなんていられない。自分を生きることだ。世界を、愛するために。