どんなに高く飛ぶ鳥よりも想像力の羽根は高く飛ぶ

自分の"楽しみ"を書いて、自分だけが救われるんなら、それは言葉ではないんじゃないの。言葉は人のものでもあるんだから。

書くことで自分をよくしたい

 日々の楽しみは、文章を書くことくらいになってしまった。それも、そんなにいいことでもないし、ただ惰性でやっているだけのような気がする。気がつくとノートに何か書いていて、それがうまくいくというわけでもなくノートが嵩張っていく。やりたいことなんてたぶんなくて、ただただ、やりたいかもしれないことで時間を埋めているだけのような気もする。言い訳ばかりして書いている。いや、言い訳をして言い訳として書いているのかもしれないし、自分でもよくわからない。とにかく健康でいたいし、とにかく生きていたい。できれば、楽しく。
 どこにでも快楽はあるのだけど、それをむさぼりつつ、ときどき書いている。自分がどうやって生きているのかよくわからなくなる。自分の時間をどうやって埋めるべきなのか、大抵わからない。自分を社会の中で役立てる方法を、私は知りたい。でも、そんな安易にはなくて、お金を稼ぐこともできなくて、快楽ばかり消費している。例えば、本を読むだとか。動画を眺めるだとか。
 でも、思うことがある。文章を書くことほど、自分を活性化させることはない。何かを消費しても、それはそれを作った人に自分を合わせて形作ることにしかならない。書くことは、輪郭が自分になる。どんなにくだらないことを書いたとしても、それは書いた人間がくだらないということで、そういう形になる。
 いろんなことをごまかすことができないというのは、自分の欠点かもしれない。人をおだてたり、おべっか使ったりができない。謙遜も苦手。形としてはできるけれど、それは社会生活として必要だからで、本当には自分のことはわかっていないと思う。そう、わかっていない。
 社会の中での自分の立ち位置とか、存在とか、そういうことはよくわからない。大抵の人は分からないものなのかもしれない。自分をどう活かして生きていたらいいのか、自分にはよく分からない。活かせないまま生きている人がいるのも知っている。この何年かは自分もそうやって生きていて、そうして破綻した。
 自分の輪郭みたいなものを、私は知っているようで、知らない。何かを消費しているだけでは分からない。自分で能動的に何かをして、初めてわかるんだろう。何かを作ってやっとわかった気になるんだろう。どこまでいっても、書くことは終わらない気がしている。どこに行ったら書けるのか、いまだによく分からない。自分のものなんて書けないかもしれない。し、そういうものなのかもしれない。自分の形のあるものなんて、たぶんない。書くとしたら、みたいなことをよく妄想する。その延長で書いているような気がしている。応援していてくれる人はいない。見守ってくれている人はいるようだ。そのくらいだ。
 書くことで、自分をよくしたいって、思う。そういう理由で書くのが一番いい。そうできると思う。よくしたいって、それを以て何かを買うとか食い扶持になる、とかそういうことから、書くこと自体で自分をよくする、って事まで含めて。今はできないことが多いというか、どうやったらそうなるのかよく分からない。書くことだけが機能していて、その実態は自分をよくしているのかよく分からない。ただ暇つぶしをしているだけなんじゃないか。それでもいいとさえ思ってしまう。
 書くことで自分をよくする、そういう総体として書くことはある。そこには治療という意味もある。書くことで自分を知るだろう。書くことは自分にとって発散であり、治療であり、治癒であり、慰めである。そういう部分でしか機能していない。
 いろんなことから影響を受けているけれど、そのどれも自分のしたいことを本当にしているのか、よく分からなくなる。ただ目についたものを摂取しているだけなのでは。自分のしたいことすら、ぼくにはよく分からない。自分のしたいことはたぶん決まっていて、そこに向かってすら、たぶん、いない。そうすることをおこがましいと思っている節がある。というかそうする勇気がない、というか実力がない、というか、そんな気分にならない。こうして書いていると、いろんなことがどうでもよくなる。
 書いても書いても終わらない、そういう沼、みたいなことに溺れることを羨ましくも、恐れているのかもしれない。どうでもいいという気もする。
 書くことで自分をよくすることができるなら、なんでもいい。書くことでいろんなことがつながっていけばいい。書くことで自分をバージョンアップすることができるなら、それでもいい。書くことで自分を改良していきたい。書くことで自分をまともにしたい。書くことで爽やかな気持ちになりたい。書くことで楽しくなりたい。書くことは魔法ではない。実行可能な、何かしらの行為。自分が書くことでどうにかなるわけでもないのに、書くことに依存している。書くことの心地よさを知っている。書くことは、きっと、自分をよくすると、不思議にわかっている。書くことに賭けたい、というほど大袈裟ではない。でも、書くことの快感を知っている。書くことでよくなる自分をかんたんに想像できる。こうしている今だって。書くことでよくなっている。また、自分を知った気になっている。そうやってよくなる。そう信じている。このままいく。