どんなに高く飛ぶ鳥よりも想像力の羽根は高く飛ぶ

自分の"楽しみ"を書いて、自分だけが救われるんなら、それは言葉ではないんじゃないの。言葉は人のものでもあるんだから。

ダブルバインドに壊れるこころ

 人に用意された価値観で生きるってことが、結構ある。その、用意された価値観のどれを選んでも正しくないと判断されることだってある。自分自身はそれを納得していないけれど、何かを選ばなくてはいけなくて、けっきょく心が壊れてしまった。逃げ場がないと大抵の人は壊れてしまうんだろう。逃げ道を自分で見つけることができるとか、逃げることを自分で肯定できるとか、そういうことって、本当はとても大事だと思う。
 人に用意された価値観でも、それで楽しければ、それでいいと思うんだけど。自分の価値観がそこにないのなら。自分の価値観を貶められて、人の価値観だけが正しいとされると、やっぱりつらいし、心は苦しい。どうしようもないことについて、自分を無理にでも納得させて、みんな生きているんだろう。なんというか、その従順さによって、みんな生きているんだろうな、という感じがする。なんでも楽しそうって思えるのは、やっぱり幸福なんだ。
 人に用意された価値観に自分にとっての正しさがないとか、少なくとも正しいと思えないけれどそれを強制されるとしたら、やっぱり、心は壊れる。ダブルバインドというか、抗えない選択肢しかないと、やっぱりつらい。自分でうまく自分を導いていける人ってのはいて、そういう人はここにいたらダメだとか、すぐに気がつくんだろう。うまく自分を導くことができるんだろう。
 ぼくは、いろんなことに疑問を持っていたと思う。だけど、それを言葉にすることができなかった。具体的に言葉に落とし込んで自分に示すことができなかった。いろんなことが人と違っていたし、それは自分の個性みたいなもので、それを尊重して欲しいとも思わないけれど、貶められる筋合いは、たぶんない。
 いつの時代の、どこにいても正しいことなんて、たぶんなくて。つまり価値観に正しい、ということなんてたぶんなくて。だからこそ、自分とは合わない人と、心が壊れるまで無理して付き合うことはないし、価値観が違うと思ったら、勇気を出して逃げることも大事だと思う。逃げるという言葉が嫌なのなら、せめて、自分を納得させることはとても大事。生きやすい世界、ってのは、たぶんあるから。きちんと自分と合った価値観の中にいたら、健やかでいられる。そうできないとしたら、そういう場に、その人はいない。
 地球、国、都市、年齢、性別、職業、いろんな価値観がとりあえずはある。この世界にある、わかりやすい価値観というのも、もちろんある。みんなそういうものでつながっている。繋がるべきではない価値観もある。どうでもいい価値観もある。そして、その違いを尊重してもらえない人とは、付き合わなくていいんだと思う。自分だけが正しいんだ、という人と、付き合うのはしんどい。そういう人といなくていいのならいるべきではない。固執することはない。逃げられるのなら、逃げろ。そして、そういう人は多い。価値観は固定され、共通していた方が楽だから。いろんな人にとって。売る人も消費する人も。もういろんな人が、この価値観いいでしょう、と言ってくる世の中だから。その多様性を許さないような空気がなんとなくあって、それが、いろんな人をまた生きづらくしているような気がしている。
 人に用意された価値観でも、というか自分のオリジナルの価値観なんてたぶんほとんどなくて、何かしらに影響されているのは間違い無いのだけど、とにかく、楽しめたらそれでいいです。人生は楽しんでなんぼです。楽しめないなら、また別の価値観を探すべきです。そういう柔軟さが人生には必要。自分が許せる、許される、世界に、価値観の中に、一人でも多くの人が生きられることができたら、それは、良い世の中かもしれない。みんな、それを目指して生きたらいいのに、やっぱり用意された価値観の中に溺れている人は多いし、そういう価値観はやっぱり甘美で、魅惑的だし、魅力的なのかもしれない。
 今の自分が、若い時の自分に言えることがあるとしたら、どんな口実をつけてもいいから、自分を納得させて自分の生きやすい世界に逃げろ、っていうかな。世界に絶対に正しいことなんて、何一つないぞ、って。自分の楽しみを見つけて生き延びろ、って心が壊れる前の自分に言う。心が壊れたら、それだけで楽しくないから。楽しもうという気持ちさえ削がれてしまうから。折れる前に、逃げろって言います。人の価値観に従ってまで守るものなんてない、と。自分の楽しみを守りきれ、と。それを守るための言い訳でも逃げ道でもなんでも用意して、自分を納得させて生き延びろ、って。
 楽しく生き延びることが肝要です。人生って、それだけかもしれない。生きていくことは難しい人には難しい。簡単な人には簡単だ。それは、価値観に依っているのかもしれない。自分に合った価値観を生きられる人は、あるいは自分を価値観の方に合わせていく生き方のできる人は、幸福だと思う。そうできないと、結構、ハードです。運は良ければ良いほどいいです。自分を扱う言葉を持っている人は強いです。
 いまだに、うまく生きたいと思っている。
 今でも、うまく生きたいと思っている。
 心が壊れたままに、うまく生きることは難しいです。自分を納得させる言葉が欲しいです。救われる気分になるんじゃなくて、しっかりと救われたい。そうするのは、自分の言葉だと思います。自分の言葉を、ずっと探している。価値観を確かめるみたいに。