どんなに高く飛ぶ鳥よりも想像力の羽根は高く飛ぶ

自分の"楽しみ"を書いて、自分だけが救われるんなら、それは言葉ではないんじゃないの。言葉は人のものでもあるんだから。

傷を埋めるパテ

 彼女の恋の傷を癒すための、パテでしかどうやら僕はなかったらしい。いわば恋愛と恋愛の谷を埋める土砂。あるいは傷に擦り付ける薬の類。穴埋めパテ。
 女なんて、という前にまずは自分の自惚を恥じるべきだ。自分という人間はそんなに価値のあるものだったか。女に本気になるなんて、なんて愚かなことをしてしまったのか。彼女たち女というのは、平気で男を自分の感情を耐えさせるための道具にしてしまう。言って仕舞えば彼女たちというのは彼氏のような人間がそばにいたらそれでいいのであって、それが誰であるのかはそんなに問わない。もう一度いう。そんなに問わない。格好がつけばそれでいいんだろう。
 という風に自分を自虐してみたって、ぼく自身の傷が癒えるわけでもない。かと言って自分を自分で癒す方法をぼくは知らない。彼女との恋は、なんでもなかった。あれが恋だったのかさえわからない。
 そうなのだよな。ぼくはこの1年間幻想を追っていたのだ。背負っていたのだ。まるで自分が誰かに恋しているみたいな気持ちだった。でも、ぼくはパテに過ぎなかったのだ。
 この一年で彼女と会う機会は一度もなかった。持ち得なかった。彼女が他の男のところに行くことついてなんの咎める筋合いもない。あれが恋だったのかどうかさえわからない。女というのはそういうものなのだ。どうしたって、そういうものなのだ。恋があればそれに飛びつく。私だけが、彼女と会えるかもしれない日々を過ごし、彼女のことを思っていただけに過ぎなかった。
 そのことが、今日わかった。そうなのだ。そうなのだ。そうやってあれは恋なんかではなかったと思いたいのだ。自分をどう説得したらいいのかわからない。どこに自分がいるのかも。どうしたら自分を治めることができるのかも。煮立っている。自分の気持ちが。どこへやったらいいのかわからない。それを頼りに生きてきたような気もするのに。自分には生きる価値がないような気がしてくる。その感じ。
 なんにも思っちゃない。女が男に恋をすること。男が女に恋をすること。どうにもなりゃあしない。誰だって普通にしていることだ。程度のいい相手を選んで、結ばれること。格好がつくことをとことんすること。気持ちよくなったりすること。いろんな可能性が男女にはあって、それをし尽くすこと。ダメだ、と思ったら別れること。それを平然としたり、感情的になってしたりすること。
 本当につらいことってなんだろうって思う。どんなことだって簡単に自分を動かすだろう。逆に、どんなことにも動かないことだって簡単だ。
 人の気持ちってなんだろう。なんだって自分は利用するし、良いように人に利用されるし、それを当然のこととしている。人の体を使ってしかできないことは多い。それを人に依頼してすること。通俗社会の中で、不文に決められている手続きをとってそうすること。
 恋愛。どこまでも動物的なことのような気もするこの関係性を、社会性を持ってすること。暗黙の決め事があるらしいのだけど、ぼくはいまだによくわからないでいる。好きなら好き。それでいい。タイミングが合うこと。待つこと。出会おうとすること。どうにもならないこと。どうにかなること。どうにか成ってしまう脳みそのこと。
 忘れられないあの娘のことを今でも思っている。でも、それは、どうにもならないんだろう。会うことが叶わないのと同じように、この気持ちもやりどころはない。会ったところでたぶんダメで、と諦めている自分がいる。信じていた自分を責める。ひたすらにそうするしかないのだ。