どんなに高く飛ぶ鳥よりも想像力の羽根は高く飛ぶ

自分の"楽しみ"を書いて、自分だけが救われるんなら、それは言葉ではないんじゃないの。言葉は人のものでもあるんだから。

髪を切る

「変わりましょうよ!」
わたしは、いま説得されている。自分から言い出したことだった。それでも躊躇しているていでもあって、自分が望んでいるようでもある。どちらが真意なのか、自分でもわからない。どちらでもいい気もする。
 長くのばした髪を切ろうかしら、言ったのは自分からだった。行きつけの美容室。いつもの美容師。ここ五年くらいはずっと同じ髪型で通してきた。そんな自分にも飽き飽きしていたのかもしれない。そして、いろんなことが、どうでもよかった。
 ありきたりに失恋したというわけでもない。恋をしたいわけでもない。変わりたいか、と言われるとよくわからない。髪を切るということは、そういうことなんだろう。でも、自分でもやっぱりよくわからない。
「いいと思いますけどね。任せてください」
 美容師はいつになく強気である。任せてしまってもいいかもしれない。そんなに自分の見た目に頓着がない自分に気がつく。魅力的になろうだなんて、あんまり思ってはいない。髪を切った程度で魅力的になるなんて、わたしはあんまり思っていなかった。そういう消極的な態度でこの五年間を過ごしきたのかもしれない。その証拠の、長い髪だったのかも。
 魅力的でなければならないなんて、わたしはあんまり思わなかった。ただ、きちんとしていたらいいのだろうと。魅力的であることが義務であるなんて、そんな生きづらいことはないだろう。いい人はたくさんいる。そうとわからずに。魅力的であることが、何かの担保になっているなんて、わたしにはよくわからなかった。どうでもよかった、と言えば大袈裟だけれど、それで何かが変わるなんて、思わなかった。いつもの自分だった。
「そしたら、切りますよー」
 美容師のメスが入る。わたしはまな板の上のこいだ。なるようになるだろう。もう何年も恋をしていない。そういうこともある。そういう構えがないのは確かだった。魅力的であろうとしないのだから。恋なんてできっこないと思い込んでいた。そういう自分がいつもの自分だった。とっくに。
 それなりの時間の後にふっと鏡を見た。あたらしい自分がいた。なにかが、変わった気がした。髪の長さは違っている。当たり前のことだ。切ったんだから。でも、それだけではない。何かを失って、何かを得た気がした。自分の中に、ふつふつと湧き起こるものがある。気持ちがざわついている。失いかけた自信を、わたしはふたたび得た気がした。
 外見の見た目なんて、どうでもいいとさえ思っていた。整形にも興味はないし、髪型も疎かにしていた。いちおう、ちゃんとしていたらそれでいいだろうと思っていただけだった。わたしは、何かを失いつづけていた。
 この外見にも、また慣れてしまうのだろう。またいろんなことがどうでもよくなるのかもしれない。わたしには目新しいことが、万人にもそうであるとは限らない。身近の人にも気づかれないかもしれない。失恋したの? なんていじられたら目も当てられないだろう。それでもいいと思えた。
 髪を切る。たったそれだけのこと。
 それでも、こんなにも気分が変わるなんて。わたしは驚いた。こんなに簡単に人は変われるのか。気持ちが、違う。慣れてしまってもいい。また、変わればいい。何度でも、変われるんだろう。いろんな変化の仕方ができる。いろんな容態があるのだ。人間には。わたしは私である。そのことには一切変わりがない。わたしは、わたしをどうでもいいと思っていた。その、どうでも良さがあったから変われたのだ。執着しなかったからだ。
 わたしはそれまでの自分だって、それなりに気に入っていたはずだ。だけれど、それがどうだ。変わってみたら、それを実行してみたなら、こうして現実のものとなってみたら、こうして、また違う気持ちになっている。実際にやったからだ。切ったからだ。いく年に渡ってのびたものを。バッサリ。
 わたしはこんな形で生きていることを実感するとは思わなかった。じわじわと、生きていることを楽しんでいる自分がいる。