どんなに高く飛ぶ鳥よりも想像力の羽根は高く飛ぶ

自分の"楽しみ"を書いて、自分だけが救われるんなら、それは言葉ではないんじゃないの。言葉は人のものでもあるんだから。

いろんな顔

「怒ったら、どんな顔するか、見たかったんだよ」
 唐突な告発にぼくはこう答えた。ぼくはいたって冷静だった。どうにもならないなんて自分を見捨てたりしなかった。やさぐれたりもしなかった。彼女にきちんと説明するつもりだった。
「もし君が怒ったなら、どんな風に怒るのか、それだって興味があったんだよ」
 そういうと彼女は黙っていた。ぼくは間違っていない、ひとつも。そう自信があった。その証拠に彼女は黙っていた。彼女はおしゃまで、勘違いをすると突っ走るタイプだった。取り止めもないことを、大袈裟に捉えてしまう性分らしかった。
 怒った顔もかわいらしかった。見たことのない顔だった。くるくると変わる彼女の表情を見ていると飽きないなと思った。死ぬまで見ていたい、そうとさえ思った。
「ちょっと意地悪なことをしたのは謝るよ。でも、別れるほどじゃない。君も本気じゃないのはわかっているよ。そうでしょ」
 彼女が本気ではないのは、わかっている。でも、なんでこんなに深刻な会話になっているのか、自分ではよく分からなかった。彼女とはいろんなことで時空が歪む。これもその一つだった。真剣にいろんなことを話せるのはいいことだと思った。
「怒った顔もいいなと思ったんだよ。だからエスカレートしちゃったんだ」
 彼女は目を潤ませて下を見つめている。勝気な彼女が見せるこんな顔も、それはそれで新鮮で、ぼくは抱きしめたくなった。
「不安だったの。なんでこんなことするのかなぁ、って。なんでこんな意地悪するの、って」
 彼女は、涙ぐんだまま言った。
「ばか! もう知らない! 顔が見たいなんてよく分かんないし!」
 そういうと彼女は抱きついてきた。ぼくのことを信じてくれているみたいだった。ごめんね、とつぶやくと、ぼくは抱き返した。彼女の温もりが伝わってきたみたいだった。
 冷たい風がびゅうびゅう吹く、高校最後の冬だった。
 ──あれから七年。
 その彼女と久しぶりに会った。というか会ってしまった。彼女は怒った顔も、喜んだ顔もしていなかった。ただ、茫然と向き合う先に僕がいるだけみたいにして佇んでいた。僕はなんとも言えず、会釈をした。彼女はハッと気がついたようにして一瞥した。
 こんな彼女の顔を見るとは、思わなかった。無関心な顔。あの頃に見た怒った顔は、よかった。感情があって。湧き出ていて。溢れていて。僕に対して真剣なのが伝わってきた。愛は深まっていた。
 人の気持ちってのは不思議だ。いろんな階層を持って僕たちは生きているのだと実感する。時に愛していた人のことを蔑んだりする。それだってちょっとした入れ違いみたいなもので、コロコロと変わるって感じがする。人によってはもう戻れないんだ、っていうかもしれない。でも、完璧な人間なんていないって、僕は思う。とても、思う。どうにもならないことは多いけれど、それでも目を瞑って許して、そうして生きていくのが僕たちってもんじゃないのか。何もかもを許せる相手なんてそうはいない。
 いま、彼女にも、大事な人がいるんだろう。その人にも意地悪されているんだろうかと、ふと、思う。彼女のコロコロ変わる表情を楽しむ人がいるといいな、と思う。喧嘩するほど仲がいいって、人はいう。だけど、それだけじゃなく、いろんな顔を見ていたいと思わせる人だった。