どんなに高く飛ぶ鳥よりも想像力の羽根は高く飛ぶ

自分の"楽しみ"を書いて、自分だけが救われるんなら、それは言葉ではないんじゃないの。言葉は人のものでもあるんだから。

人生、楽しんだもの勝ち、ということ

 僕のことを、人間扱いしなかった人たちがいた。そのことに、私はショックを受けていた。その対象が自分であることに。人間扱いされないことに、自分に原因がなかったとは言えない。いろんなことがあったから。でも、人間扱いされない筋合いはない。
 彼らを憎んでいるわけでもないと思う。だって仕方のないことだから。だからといって、今、関わりたいか、というとそんなことは多分ない。関わりたくない。だって、今でも多分、あの人たちは、わたしのことを人間扱いしない。なんとなくそう思うので。
 自分なんかが、人と関わるなんておこがましいとずっと思っていた。そうやって喋れなくなったんだろう。そう思わせるだけのことがあったんだ。人と関わるのは嫌だとずっと思ってきた。自分はうまく人と関われないんだ、と思ってきた。
 でも、それは間違っている。わたしは、人と関わるべきだ。人と関わって、きちんと幸せになるべきだ。人と関わるのが下手くそなら、練習して、きちんと関われるようになって、幸せになるべきだ。
 人生、楽しんだもの勝ちと、つとに思う。
 人と関わらないなんて、つまらないよ。嫌な目にあってでも、人に迷惑かけるかもしれないけれど、とにかく人と関わった方がいい。そうやって生きていくんだ、人は。人と関わらない人生なんてない。どこにも。人間扱いされないことはつらいよ。だけど、そのことを考えていたって仕方ない。脳の障害からそう執着してしまうことは多い。でも、それを役立てることだってできるはず。どうしても考えてしまう、そういう特性を活かしたら、きっと、人の役に立つ人間になれるはず。幸せになれる。自分は、幸せになりたい。
 過去の自分は水に流そう。自分のことをもっと知ろう。人との関わりの中で人間を知っていくってこともあるんだろう。人間扱いされなかったことをいつまでも考えていても仕方ない。だって、人間扱いされなかったんだから。その事実は変わらない。彼らは考えを変えないだろう。変えたとしても、わたしは知る由もない。どうでもいい。
 知らなかった自分を知る喜びを。人と触れ合う、会話する喜びを。そうして生きて死んでいく喜びを。人と関わるから人生は楽しくあれる。
 わたくしに、変わっていく勇気と喜びを。人と対話する喜びを。