どんなに高く飛ぶ鳥よりも想像力の羽根は高く飛ぶ

自分の"楽しみ"を書いて、自分だけが救われるんなら、それは言葉ではないんじゃないの。言葉は人のものでもあるんだから。

エクセルシオールカフェにて

 となりに座った女性と少しだけ話をした。彼女は暇そうでもなく、かといって忙しそうでもなかった。ただ本を読もうとしていたのだった。その本は見覚えのある装幀であった。私が昨晩に寝床ですくいを求めて開いた本に違いなかった。たまらずに私は声を掛けた。俗っぽくならないよう、細心の注意を払ったつもりだったが、その人が私についてどんな印象を持ったのか、判別できなかった。いやらしい顔をしてしまっていないだろうかとひたすらに不安だった。私は人の気を惹くような特別な顔は持ち合わせていないし、髪はいつものごとく乱れていた。白のティーシャツにジーパンという、特に気取ったものでもないし、かといって警戒されるような格好でもなかったと思う。根暗には到底見えそうにもない、どちらかというとやんちゃな顔つきの、只のやさぐれた男だった。
 私はずっと独りきりで生きてきた。運命の末に流された小島で、ただ無抵抗に打ちひしがれているような人間。そこから抜け出そうともせず、ただ自分のやりたいことをやり尽くしているだけの人間でしかない。その過程で出会った本が、たまたま彼女の読もうとしていたその本だった。
 偶然に彼女と目が合うと、なんとなくやさしい気持ちになった。いやな顔をされるでもなく、彼女は私のとなりの椅子に座りつつ、習慣としてそれが板についた様子で鞄から本を取り出し、その席を離れた。戻ってきた彼女に、まるでそうすることが約束されていたかのように、私は話しかけた。それは私がそう思ったというだけで、彼女には唐突に話しかけられたというに過ぎないのだけれど。自然にその人は応えて、なんとなく会話は弾んでいった。
 何を話したのだったか、よく覚えていない。そのくらいにとりとめもないことを話したのだと思う。本について、とかたぶんそういうことだったのだろう。特別に見栄を張るようなことを言ってしまって、イタくなってしまう予感がしたので、その点についてはなるべくに自然に振る舞おうとしたかもしれない。よく覚えていない。
 自分のことを人間関係に余裕のある人間だと、最近よく思う。一人で過ごすことは決して苦ではないというよりもむしろ心地良いくらいで、だからといって人と接することも好きなたちである。特別に良い人間でもないし、悪い人間でもない。良いこともするし、悪いこともするのだろう。なんでもないことを深く考えがちな脳みそを持つのに、それを実践する行動力に難のある、厄介な男。そうして人と会う機会をいつも逸してしまっているような男。だから、自分の人間関係について、いつもニュートラルであると私は考えている。
 人が熱心に本を読んでいるのを見ているのが好きだ。いつの間にか二人とも自分の本に目を移し、何事もなかったかのようにいつも通りに過ごしていた。
 自分でもなぜこの人に声を掛けたのか、分からなかった。同じ本を手にしていたからといって話しかける謂れになるだろうか。
 独りでいることも、誰かといることも、いつの間にか同じことだと思い込んでしまっていた。
 こんな風に話しかけてしまうくらいに、私は何かに飢えていたのかもしれない。この不器用な男に、なにかの”気付き”が起こりそうであった。
(おしまい / フィクション)

『G戦場ヘヴンズドア』について

 私がこの漫画についてどのように語ったとしても、この漫画を読むという行為そのものにはとても敵わない。この全3巻の本に書かれている絵と文字には、本当に多くのことが詰まり過ぎていて、正直に言ってこの本について夜中まで一コマずつ人と語り合いたいくらいだ。死ぬまでに気の合う人とそういうことができる機会を持てたなら、本望だと思う。そのくらいにこの漫画が好きなんです。
 ものを本当に精魂込めて造ることによって、人は一人ではいられなくなる。友情だとか、愛情だとか、それももちろん人生にとっては大事なことだと思うけれど、良いものを造ることを目指して集う人たちの”美しさ”がこの本には描かれている。
 “造る”ことにおいて、人はそれぞれのやり方で、けしかける。
 女性は男をけしかける。それは、男を覚醒させたいからだ。コンプレックスを刺激し、時に導いて。覚醒する男と出会えたなら、自分が救われると思っているからだ。そして、そのために人生を賭ける。その凄みがある。
 覚醒させ合う二人は、結局は結ばれない。そのことにさえ、納得できてしまう。男と女というのは、そういうものなのかと思う。僕にはあまりに人生経験が乏しすぎる。
 男も女も、漫画家も編集者も、みな本気になっている。造ることにも、生きることにも。ただ生きるのではなく、自分が好きなことに”込めて”生きるということ。そうしなければ、生きられない人たちの”美しさ”を僕はこの漫画から読み取った。
 描かなくては生きていけない(生活するという意味だけではなくて)人間が、衝動として描く。描かなくては気が済まないような人。自分を保てないような人。そうすることで救われるということ。それを知っているということ。
 創ることで繋がることには、何のわだかまりも、遠慮もない。ただ良いものを作るためにぶつかり合うそのつながりは、とても強固なものになる。
 主人公はかつて独りだった。誰からも理解されない人だった。理解しようという人はおらず、理解されようともしていなかった。そうして、描くことに巻き込まれるうちに、独りではなくなる。人に理解され、認められ、生きるのに充分な理由を見つける。そこには縁もあり、人柄や人格もあり。そうして、描くべくして、描く。描くことで理解し、理解される。認められる。彼ほどに真摯な人間は、いない。
 だけれども、全くそれだけではこの漫画を語るに到底足りない。
 生きること、死ぬこと。それによって翻弄される人たち。決意する人。人生を壊してしまう人。壊れてしまう人。そして、人を信じるということ、愛するということ。
 自分の好きなことによって生きるということ。創るということ。創りたい、ということ。創る歓びを知ってしまってもう戻れないということ。それなしには生きられないということ。
 たぶんこの箇条書きを読んでもわからない。気になったのなら、漫画を手に入れて、読んだらいい。そして、ぜひお話をしましょう。

 最後に、僕の個人的な話を。文章を書くことで、孤独を慰めていた面が僕にはあった。読まれているのか、そうでもないのかわからないのだけど、それでもそんなことは問題ではなかった。誰もが自分をけしかける人と出会うわけではない。自分を自分でけしかけていた部分もあったと思う。そうやって書いていた。だからこそ孤独を慰めることができた。人の目を意識するからこそ書けることもあったし、この人に認められたいということもあった。
 ツイッターなどSNSは、そこに人がいる感じがした。でも、それは自分を孤独からごまかしていただけだった。何かの反応をいつも待っていたような気がする。でも、ネットの限られた情報では、ほとんどのことはわからない。伝わらないことも多い。痛々しい醜態を晒すことが常だった。そういうことを恥とも思わないことが余計に痛々しかったのではないか。
 ネットでうまく自分を表現できず、人に理解され得ないことをもどかしく思った。機会がなければ、人は言いたいことを言わない。読んだ人が何を思うのか、僕には検討もつかない。
 僕は真摯なのだろうかと、思う。
 ぶつかり合って高め合うこの漫画の人たちに、僕が憧れるのも無理はない。つまりは、そう生きたいのだ。そうできるのなら、なにをするんでもいい、誰だっていい、何を言われたっていい。本当にそう思っている。

贈ることば

「あなたにこの詩を贈りたいんだ。谷川さんの『雛祭りの日に』」
 愛しい人に、震える手で自分の書いた自分の結晶の一部を手渡す。一報を耳にしてから、造り上げるのに一週間くらい掛かってしまった。どんな反応をするだろう。
「あら、素敵なレタリングじゃない。どうしたの?」
「ぼくが書いたんだ。あなたを幸せにするのは僕だと思ってたんだけどな!」
 自分でも思ってもみなかった言葉がつらつらと出てきて、自分でも驚いてしまう。まるで、口が勝手に喋ってるみたいに。一年前を思えば、口から音が出ているだけでも奇跡みたいなことなのに。心の奥底から言葉が湧き出てきてしまう。
「あら、そう? 残念ね。でもわたし今、しあわせよ」
「うん、わかる。正直なところ、今のあなたの何もかもが、ぼくにはつらいんだ」
 こうして、彼女だけを見つめている時間は至福だ。でも、いつ彼女が男のことを言い出すだろうと思うと、僕は見てはいられない気持ちにもなった。
「そう? そうかー。でも、詩は戴けるのね」
「どうしてもこの詩を、今のあなたに読ませたかったんだ。読んだら捨てていいから」
 詩の書かれた紙を開いて、彼女はしばらく沈黙している。うん、と頷いて、こっちを見つめる。僕はなんだか過剰にドキドキしていた。
「良い詩ね。良い言葉だわ。それに良いデザインだわ。一生、わたしのそばに置いておくわ。誓う」
 彼女は、僕の贈った言葉を丁寧に自分の鞄にしまったのだった。
「そう、どっちでもいいよ」
「……。」
 沈黙を気にしないたちの僕にも、この間は緊張してしまう。と思うと同時にやはり口をついて言葉がまた出てきたのだった。
「あなたみたいに言葉を大事にする人に、また出逢いたいよ」
「ふふ。そんな人、わたし以外にきっといないわよ」
 戯けていう彼女に嘘は全然ない。この人は言葉と何年も真摯に向き合い続けてきた人なのだから。僕は、それを充分に知っている。
「そうかも」
「でしょー? なんでわたしを口説かなかったんだよー?」
 まともではない自分を必死にカモフラージュしていたのだって、きっと、彼女には見抜かれていただろう。ぼくの一挙手一投足には自分には価値があるのだという思惑と、自分は優れているのだという錯誤が見え隠れしていたと思う。それは、とても醜いものだった。美しい、君に見せなければ、なんて笑うよね。 
「口説けないよ。でも、ぼくがあなたを幸せにしたかった」
「ふふ。じゃあ、行くからね! また、どこかで逢いましょう」
「うん。きっとまた、どこかで」