どんなに高く飛ぶ鳥よりも想像力の羽根は高く飛ぶ

自分の"楽しみ"を書いて、自分だけが救われるんなら、それは言葉ではないんじゃないの。言葉は人のものでもあるんだから。

2018-10-01から1ヶ月間の記事一覧

にんげん1回目

生まれて初めて餃子の王将に行った(めちゃくちゃうまかった)。 その時に不意に流れた曲(それはとてもぼくを感化する好きな曲だった)。 たぶんそれで、ぼくの心はあふれてしまって、不覚にも涙をこらえることができなかった。 相乗効果は考えもしない組み…

なにが人に文章を読ませるのだろう

今あなたは、この文を読んでいるが、読んでいるいうことは、何らかの理由があってこの頁を開いたということだ。つまり、なぜかしらこの頁につながるリンクがあなたの前に現れたからとか、なんだかそういうことなのだと思う。初めてここを訪れるというわけで…

楽しみを伝えること、楽しみを受け取ること

何かを理解する時に、自分の中に「この感じ、あの感じと似てるな〜」という感覚があることが、とても理解の助けになる。その広さと深ささえあったら、いろんなことを楽しく感じることができるはず。 いくらたくさん本を読んだって、どんなに仕事をできたって…

ブログのタイトル変更

ブログのタイトルを 『どんなに高く飛ぶ鳥よりも想像力の羽根は高く飛ぶ』 紹介文を 自分の"楽しみ"を書いて、自分だけが救われるんなら、それは言葉ではないんじゃないの。言葉は人のものでもあるんだから。 に変更しました。 先祖返りといった感じですかね…

風に吹かれて

音楽については、音楽をもってしか”正しく”語り得ない 本については、本をもって 言葉については、言葉をもって 愛については、愛をもって *** 人は、人を愛することも、憎むことも、安易である 安易だ、という意味は、コントロールできないということ そ…

自分をいかに見つめているか

ぼくという人は、たぶん、他人にとって、見下そうと思えば見下すことは簡単な人間なのだと思う。ぼくを見下すための取っ掛かりがたくさんあるってこと。ぼくは自分の欠陥を攻められることについて、なんの頓着もない。そういうものを取り繕おうとも思わない…

異邦人の案内

道をなにげに歩いていると、人が困っているようだった。どこかに行きたいらしいが、そこがどこにあるのかわからないように見えた。よく見ると異邦人のようだ。ぼくの言葉は解すらしい。 どこに行きたいのか、と尋ねると、よくわからないという。ぼくが言って…

ものの美しさ、人の美しさ

会社でとても仲良くなった人の、今日が最終出勤日だった。たぶん、ぼくに10年ぶりにできた友達、みたいな人だったかもしれない。 ぼくよりも7つ上だと言っていたから、いろいろあった人だったのかもしれない。傷を負ったことのある人特有の”優しさ”を持って…

人と関わるということの、楽しみを、美しみを

ネットを通して、人と関わったりした。相手も自分のことをよく知らず、私も相手のことをよく知らなかった。ただ文字だけの情報。言葉を交わした人もある。でも、やっぱり、誰のことも、よく知らなかったと思う。そこに人がいたのは確かで、でも、なんだかそ…

仕事をするにあたって、最近考えたこと

自分の本性を出したからといって、それだけで人がぼくを見損ねるということは、たぶんない。特にある程度信頼してもらえている人には、そんなに簡単に揺らぐようなものではなくて、何かの間違いなんじゃないか、とか、あるいはこういう部分も持っている人な…

めんどうな男と、それを流す女

その男のなにが面倒なのかというと、起こり得ないことを妄想してしまうことだ。なにも仰々しいことではなくて、些細なごく普通の生活のことについて、いつも思いを巡らせてしまう。それも変に筋立って考えるのでタチが悪いようだ。前提からして起こりそうも…

こころの安らぐときを

とりあえずは、今ある安全基地を守る。そこは温床であり、本当には私のためになるのかもわからない。なにが自分にとって良いところ、良いもの、良いひと、なのかなんて、誰にもわからないことだ。 わたしは、安全な場所なくして生きられそうにない。なぜ、安…

伝えるということが人との関係そのものであること

なにかを人に伝えることの困難さを。面と向かって目を見て言ったって伝わらないことだってあるのに。こんな小さな箱を介して、誰かの力を借りたって、伝わるかどうかなんて、全くわからない。伝えようとしたことも、この世界に存在していることさえも、ぜん…

身体の反応を信じている

この人がいたから、僕は僕になった。僕が僕であることに、何にも思わなくなった。ただ、そうあるだけだ、というに過ぎない。この人がいない人生なんてそもそも、なかった。 人は人を産む。それから育てる。刺激し合う。感化し合う。時には蔑んだり、罵倒した…

わたしにとっての100円

小さいころに初めてお金を手にしたときのことを、いまだに憶えている。それは、初めて自分の財布というものを手にしてからすぐのことだった。その財布がどうやってわたしの手元にやってきたのかはっきりとは憶えていない。赤いフェルトで出来たくつ下の形を…

人は、言葉によって考え、悩む。言葉をうまく扱えたら、どんなにいいだろう

人が人を拒絶することには必ずなんらかの理由があるはずで、その理由にだって拒絶されたほうは、感受性を傾けるべきなのに。 ぼくの役に立とうと努めてくれた人がいた。少なくとも、ぼくにはそう感じた。その人は、その人がぼくの役には立てそうにないと悟っ…

愛することについての一考察

みんな何かにかこつけて誰を愛していようとするけれど、本当には相手のこともそんなに知らず、ただ自分を納得させることのできる何かを持っている人に、心を許しているというに過ぎないんじゃないの。それは、愛じゃない。 誰かのことを知り尽くすことなんて…

書かれたものによってその人の何かを思うこと

書いたものには、たぶん、ぼくの何かが書かれてはいるけれど、だからといって、書いたものを通してその書いた人のことがわかるなんて幻想なのだと思う。だって、それはそういうものだから。書かれたものがどんなものであろうとも、それは書いた人の人格とは…

自分をごまかしていることを洗いざらい

あるきっかけから、ぼくは自分をごまかしているのではないか、ということに思い至りました。 それは日常の中にも深く入り込んでいるし、人生全体が向かっていくことについても言えることだ。日常の一つひとつから人生は作られているのだから、まぁ、当たり前…