どんなに高く飛ぶ鳥よりも想像力の羽根は高く飛ぶ

自分の"楽しみ"を書いて、自分だけが救われるんなら、それは言葉ではないんじゃないの。言葉は人のものでもあるんだから。

女のいのち

 ぼくの隣で、ぼくの彼女が泣いている。さめざめと、泣いている。三面鏡の前で。たぶんこの鏡は、彼女の家族から受け継いだものだろう。
 ぼくたちは、愛しているし、愛されている。だから彼女はこうしてぼくに気を許して泣くのだと思う。だから、と書いたけれど、なぜ彼女が泣いているのかの正確な根拠はぼくにはよくわかっていない。ただ、泣いている彼女がとなりにいる。
 これだから男は、と思われるかもしれないが、本当にわからないのだ。ただシャワーから上がってきた彼女が泣き始めてしまったというその事実だけが渾然とあって、ぼくは動揺している。そういうときには、どうしたの? と言ってそっと肩を抱き寄せんだよ! という(顔だけは)イケメンの友人の声が聞こえてきそうだ。
 なんで泣いているのかもわからないのに慰めることなんて、ぼくにはできない。正直、泣きたいなら気の済むまで泣いたらいいと思う。ぼくの介入する余地などそこにはないと。
 正直、女の子の涙はウソなのだ、とぼくは勘づいている。二つ上の姉を見ていれば、わかる。この人たちは自分の思い通りに人をコントロールするために、その液体を目から出すことができる人種であると。
 いや、それは考えすぎなのかもしれない。シャワーから出てきて、彼女は何か言っていなかったろうか。記憶を探る。そのときぼくはパソコンで作業していて、彼女はいつの間にかシャワーを上がってこの部屋にいた。いつの間にか泣いていた。
 こんな状況では、どうしようもないのかもしれないが、何かしなければならないと、ぼくの第六感が騒いでいる。
 彼女の髪は、それなりに長い。濡れた髪は、美しい。肩まで伸びた髪を濡らしたまま、彼女はさめざめと泣いている。いつもならシャワーから出てすぐに髪を乾かすのに今日はそうしない。ぼくはずっと短髪であるので、髪を乾かすという習慣がよくわからない。風邪をひくとか、そういうことがあるんだろう。
 髪は女の命であるという。それを映し出す三面鏡は女の命、つまり亡霊を映し出すものである。代々受け継いできたその鏡にはそういう何かが憑っているのかもしれない。
 彼女がこちらをちらっと見やった。濡れた髪が美しい。何か言いたげにこっちを見ている。気がつくとぼくは
「どうしたの?」
と声を掛けていて、彼女が、か細い声で応える。
「髪を乾かしてほしくて」
「それで泣いてたの? こっちにおいで」
 三面鏡は平然とそこにあった、が、キラッと光った気がした。
 好きな人に乾かしてもらってはじめて髪は女性の宝物になる、命が宿るのかもしれないな、とその時に思ったのだった。