どんなに高く飛ぶ鳥よりも想像力の羽根は高く飛ぶ

自分の"楽しみ"を書いて、自分だけが救われるんなら、それは言葉ではないんじゃないの。言葉は人のものでもあるんだから。

信頼されること、信頼すること

 どのくらい人を信頼していただろう、って。
 どのくらいの人に、ぼくは信頼されているんだろう、って。
 信頼を得るような行動を、どのくらいしてきたんだろう、って。
 信頼して欲しいと思っていた人はどのくらい周りにいただろう、って。
 その人たちにどのくらいきちんと信頼されていただろうか、って。
 わたしは勝ち取るべき信頼を、きちんと勝ち取ることができていただろうか、って。そう努めただろうか、って。
 信頼されるような人間だったろうか、って。大なり小なりいろんなことがあったけれど、自分にとってさえ自分を信頼できない人間になっていたんじゃないか、って。そんなんで自分を信頼してもらうことはできるんだろうか、って。
 自分を自分で信頼しておらず、人に信頼されることはたぶんなくて、というか、受け入れられなくて、それは、みんなが不幸で。
 自分を自分で信頼しなければ、人を信頼することもできなくて。それもたぶんみんなが不幸で。
 自分を信頼できないのは、なぜなのか。
 自分で気がつかないうちに、自分を裏切っている。その積み重ねは、私を追いつめる。いい加減な自分、自分を誇りに思えない自分、自分しか知らない自分に負の面がある限り、自分を信頼することは遠い。果てしなく遠い。なにか嘘をついているのだ。誤魔化している。
 信頼しようと思わない人間は、そもそも信頼できない。自分自身も、他人も。裏切る事が平気な人間は、いくらでも裏切る。自分自身も、他人も。そうやって向けた刃は、あらゆるものを傷つける。
 信頼すること。信頼されること。
 信頼しようと、尽くしただろうか。信頼されようと、尽くしただろうか。でき得る限りを、為しただろうか。
 信頼されないことは、人にとって多大な恐怖で、自然とそのことを見て見ぬ振りする。信頼ときちんと向き合えない人は、やはりどうしようもなく信頼されない。誤魔化している人はいずれわかる。嘘をついている人はいずれわかる。
 誠実に生きても、そう捉えられるとは限らない。そう表現できているとは限らない。齟齬は生じてしまうことはある。その時にこそ、信頼されることを放棄してはいけない。大事なものを失ってしまうから。人と人を繋いでいるのは、間違いなく信頼だ。それをどんな時にも失ってはいけない。それだけは。