どんなに高く飛ぶ鳥よりも想像力の羽根は高く飛ぶ

自分の"楽しみ"を書いて、自分だけが救われるんなら、それは言葉ではないんじゃないの。言葉は人のものでもあるんだから。

あきらめるということ

 何かを諦めつつあるのだけれど、何を諦めようとしているのか、自分でもよくわからないでいる。諦める感覚をここ数日ずっと感じていて、そのやり切れなさは、自分にとってしんどいものではあるのだけど、何をどういう風に諦めつつあるのか自分でもわからない。
 人生のいろんな時に、僕は諦めてきた。その時と同じような精神状態に、今なっている。いろんなことがフラッシュバックする。そしてこの諦めから立ち直るのに時間がかかることもわかっている。
 具体的に何を諦めるというわけでもなく何かを諦めている。それを判断できないくらいに、僕の頭は働いていない。機能していない。判断したくないのかもしれない。見て見ぬ振りをしているところにそれはあるのだろうけれど、それが頭に浮かぶことさえも自分に許していないのかもしれない。とにかく僕は諦めようとしている。そのことだけは確かだ。
 諦めたって仕方ないのことなのかもしれない。諦めなくてもいいのかもしれない。諦めることすらも自分に対する言い訳なのかもしれない。自分が生きるための。自分の都合よく生きるための。何かしなくては生きていけないということは人間にとって少ない。
 それは諦めてもいいことかもしれないし、諦めてはいけないことなのかもしれない。
 生きることに臆病になっている。諦めることなんてしたくない。それが何かもわからないのなら、なおさらだ。諦めていいことなんてないのだとわかっている。諦めてしまったら取り返しがつかないかもしれないこともわかっている。人生はやり直せる、なんて甘いものじゃない。いまこの時は、この瞬間にしかない。
 自分で自分に混乱している。どうにもならないことが、人生にはある。でも、どうにもならないことだってある。そうして諦めようとしているのだ、僕は。そのことをとても不甲斐ないとも思っている。情けないとも思っている。
 ずっと、その人と生きてきた。
 ずっと、それを自分の人生としてやりたいと考えていた。
 その人と生きることも、そのことをすることも、両方を同時期に諦めようとしている。
 諦めたくないのだけど、諦めなくてはならないと自分に言い聞かせている。そうしていいのかって、そうやって生きてくのかって。なんかそういう葛藤を続けている。いろんな言い訳しようとしているし、そのことを受け入れられていない。
 頭がおかしくなりそうだ。とにかく、正常でない。とにかく、いまは休もう。そうすることでしか生きていることができそうにないのだから。