どんなに高く飛ぶ鳥よりも想像力の羽根は高く飛ぶ

自分の"楽しみ"を書いて、自分だけが救われるんなら、それは言葉ではないんじゃないの。言葉は人のものでもあるんだから。

この先も人生の愉しみは降り積もっていく

 もうすぐ、忘れそうなこと
 死ぬまでずっとずっと忘れたくないこと
 もう、忘れてしまいたいこと
 どうしても思い浮かんでしまうこと
 忘れてしまうことも、覚えていることも、思い浮かぶことも、僕たちは自分の意思で自由にできない。もう忘れてしまいたいことだって、たぶん僕たちの頭の中のどこかには存在していて、それはたぶん、死ぬまで一生で、消え去るということはない。思い出していないというだけで、そこに、在る。
 いつか、きっと、忘れられるだろうと思っていたことも、いまだに思い出したりする。それを思い出してしまうことの人生における意味を考えたりする。人間の記憶なんて、脳細胞のいたずらに過ぎないのかもしれないと思う。
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 過去に生きる人にとって、記憶は重要なものになる。
 いまを楽しんでいる人にとってはそんなこと、どうでもいいのかもしれない。そんな人は、思い出せないことばかりになっても、たぶん楽しく暮らせるのだろう。
 これからの僕を、僕はまだ知らない。
 これまで起こったことも、いま起こっていることも、これから起こることも、等価に僕のことに過ぎなくて、そして、そのことに、大した意味はない。僕と僕の周りにいるであろう人たちにとっての、大事な、何か。
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 どうしても忘れてしまうこと
 どうしても忘れたくないこと
 どうしても忘れたいこと
 どうしても思い浮かんでしまうこと
 その全部を頭の中に詰め込んだまま、僕は、棺桶まで駆けていく。
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 人生が上書きなのならば、と、僕は新しく楽しむことをずっと拒んで生きてきたのかもしれない。でも、消えやしない。なにもかも。そのことは、今の僕を救っていると思う。僕は、どんなに楽しんだっていいのだ。
 忘れてしまうことも、忘れたくないことも、忘れたいことも、思い浮かんでしまうことも、全身に抱えて生きていく。そして、その上で、この先も人生の愉しみは降り積もっていく。すべては、当たり前に消えない。
 そう考えて、僕は久しぶりに人生を謳歌していくことを、自分に許可できると思ったのです。