どんなに高く飛ぶ鳥よりも想像力の羽根は高く飛ぶ

自分の"楽しみ"を書いて、自分だけが救われるんなら、それは言葉ではないんじゃないの。言葉は人のものでもあるんだから。

ここがほんや

 「ほら、ここだよ、前に行ってみたいって言ってたでしょう?」
 親戚から預かることになったこの人をいろいろと案内して周っていると、何だか変な気持ちになったりする。
 「ええと、何でしたっけ? 情報がたくさんあるところ」
 「そう。本屋。オールドスタイルの情報が集まる場所」
 本当に何も知らないのだ。この人は。知らないフリをしているというわけでもなく、かといって何も知らないというわけでもない。
 「人がたくさんいますね。皆さん何かを熱心に見ている」
 「あれが本だよ。情報が詰まっている物」
 「へー。あれから情報を受け取るんですか」
 「受け取るというか、読むというか」
 なんだかこの娘は宇宙人なんじゃないかと思う瞬間がある。別に受信用のツノが生えているわけでもないし、液状になるわけでもない。見た目は普通の女の子なのに。でも、絶対ヘン。
 「薄いシートが集まってできていて、それを一枚いちまいめくるんですね」
 「そうだね。ここは本屋だから本がたくさんあるけど、昨日見せたPCとかスマートフォンには電子書籍というのもある。ネットでも情報を得られるし」
 スマホを見せてもテレビを見せても、それなりに不思議がるものの(中に人が入っているんですか? とか)、どんどん“この世界”に適応していく。それがあることが当たり前かのように。何が何だかわからないけれど、一緒にいるのはとても楽しかった。
 「本はオールドスタイルと言っていたけど、どういう意味ですか?」
 「うーん。本の方が昔から親しまれているんだよ。スマホとかはわりと最近なんです」
 「なるほど。ここにはどういうものがあるの?」
 「うーん、読む人の趣向に合わせて本が置かれてます。ここは文芸のコーナー。お話の書かれた本が主に置いてある」
 「なるほど。それでは、あっちのカラフルな図形の描かれたものは? あっちもお話ですか?」
 「あっちのは写真の本だね。文字だけでなくて絵も本にすることができるんです」
 彼女が、本を一冊手にとって言うことには。
 「……本って、きれいですね。うつくしい」
 「そうですね。ぼくもそう思う。この中にたくさんの“もの”が詰まっている。見えてさわれる上に、見えずさわれないものを同時に持っているんですよ」
 なんだかこの人と話をしていると、何かの本質みたいなものにぶち当たる。それによって何かを気づかされる。
 「昨日見た映画というものとはまた違うのですね。文字や簡単な絵からできている。動く絵も音もない」
 「だからこそ、読む人の自由があるんですよ。書いてあること以外は自分で補っていいんです」
 今まで当たり前にしていたこと、受け取っていたもの、もう、なにもかもが、この人といると新鮮に感じられる。なんだかとても不思議な気持ちになれる。
 「情報は在ればそれでうれしいわけではないのは、どこでも同じですね」
 「そうですねー。楽しめれば、それで良いんですよ。人に迷惑をかけなければ」
 「これ、家に持って帰ってもいいですか?」