どんなに高く飛ぶ鳥よりも想像力の羽根は高く飛ぶ

自分の"楽しみ"を書いて、自分だけが救われるんなら、それは言葉ではないんじゃないの。言葉は人のものでもあるんだから。

生き恥

 生きていることは、恥ずかしいことだ。
 なにをやっても不安は尽きない。
 何かに自信を持った瞬間に、それはできなくなってしまう。
 そう思っている。
 自信を持ってなにかを胸を張ってするようになったら、その心は驕りに満ちている。
 だから、失敗する。
 うまくいっても、それはたまたまなんだ。
 だから、生きていることは、いつも恥ずかしいことだ。

 毎日を、見苦しく過ごしている。
 毎日を、聞き苦しく過ごしている。
 自分のすること、話すことに、滋味なんてない。
 正論で殴っても、それでうまくいくというわけでもない。
 人を追い込んだなら、自分も追い込まれるということだ。
 人に許されているということ。
 人を許すということ。
 見苦しいということ。
 見苦しがられるということ。

 生きていることは、途方もなく恥ずかしい。
 自信を持って生きるなんて、一生、死ぬまでできない気がしている。
 それでいいと思う。
 どこにいっても同じだ、と最近は思う。
 公園で暮らしても、それはしあわせだろう。
 別荘を持ってもしあわせではないかもしれない。
 心が豊かであるということを、ずっと精視していたような気がしてる。
 本と
 音楽と
 生活の糧である仕事と
 あとは友人と
 それだけで充分だと思っていた。
 でも、なんだかまだ足りない。

 自分の感じていることを、うまくわたしは表現できない。
 そのことだけが、ずっと気がかりだ。
 自分の内にあることを、外に出すことについて。
 それをケレンもなくすることに、違和感があった。
 それでは、人に受け取ってもらえない。
 表現する限りは、人に届かなくては、甲斐がない。
 せっかくそうするのに、その効果を最大にするべきだろう。

 自分のすることに不安は多い。
 自信もない。
 それでも、やらなくてはならない。
 恥ずかしくても、そうしなくてはならない。
 機会が与えられているのに
 それを不意にする必要はない。
 誰にだってそうできるというわけでもないのに。
 自信がないから、なんて、やらない言い訳に過ぎない。
 とにかく現実的に考えて、実行を試みるべきだ。
 どうせいつか死ぬのだ。
 わたしはどこにだっていけるし、どこでだって楽しく過ごせるだろう。
 自分の中身を外側に出さずに死ぬことの方がよほど怖いことだ。
 それを思えば、恥ずかしいなんて、どうだっていい。