どんなに高く飛ぶ鳥よりも想像力の羽根は高く飛ぶ

自分の"楽しみ"を書いて、自分だけが救われるんなら、それは言葉ではないんじゃないの。言葉は人のものでもあるんだから。

月を歩くひと

「昨日、月を歩く人を見たぞ」
 もう呆けてしまった父が言う。
「月に!? どんな人? なにしてた?」
 5歳になる息子が驚いて応じる。
「どうやって? 月なんて小さくて見えないでしょ」
 私は冷静にツッコむ。
「隣町の天文台の望遠鏡で見た。あれは確かに人だった」
 平然と父は答える。まるでそれが本当であるかのように。
 確かに隣町には天文台があって、望遠鏡もある。息子と何回か天体観測に行ったことがある。だけど、まだ私は疑っているというか、そもそも信じていない。
「えー、そんないい倍率で見えんの!?」
 疑っている、というスタンスをあくまで崩さず、でも、話を聞く、ふりをする。
「なにしてたってばぁ〜、おじいちゃん!」
 息子が割って入る。興味津々な様子だ。月に人がいるなんて、おとぎ話みたいな話だ。やはり呆けているのか。
「歩いてたぞ。あれは人だった」
 やはり父は冷静に答える。また、呆けて〜、と言う隙がない。全然ない。なんか、本当っぽい振る舞いが怖い。この人が語るとなんでも本当っぽくなってしまう。みんなそれに騙されがちになるけれど、大抵のことは、呆けた老人の戯言に過ぎない。そのたびに私たち家族は全力で引っかかることにしている。
かぐや姫かな?」
 息子が無邪気に訊いてくる。
「そうかもね〜?」
「性別まではわからなかったな。陰陽師の装束みたいな格好だった」
「へー」
 息子はまだ信じているようだ。絵本で読んだ世界がそこにあると思うと、ワクワクするだろうな、と思う。しかも自分の祖父が語るのだから、こんなに現実感のあることもないかもしれない。
「明日、父さんと月見に行ってみようか?」
「えっ? いいの?」
 途端に、息子が目を輝かせる。
「俺は行かんぞ。そんなに人のことを覗き見るもんじゃないさ。あっちにもあっちの生活があるのだし」
 呆けたこと言ったかと思うと、こういうまともっぽいことも言うのだから不思議だ。本当によくわからない。
「ぼく、見てみたいなー。かぐや姫。自分が見られるのはヤだけど」

「全部ウソだけどな。」
 やっぱ、ボケてる。呆けなのか、それを逆手にとった冗談なのか、この人からは目が離せないな、と思う。