どんなに高く飛ぶ鳥よりも想像力の羽根は高く飛ぶ

自分の"楽しみ"を書いて、自分だけが救われるんなら、それは言葉ではないんじゃないの。言葉は人のものでもあるんだから。

2018-01-01から1年間の記事一覧

仕事をするにあたって、最近考えたこと

自分の本性を出したからといって、それだけで人がぼくを見損ねるということは、たぶんない。特にある程度信頼してもらえている人には、そんなに簡単に揺らぐようなものではなくて、何かの間違いなんじゃないか、とか、あるいはこういう部分も持っている人な…

めんどうな男と、それを流す女

その男のなにが面倒なのかというと、起こり得ないことを妄想してしまうことだ。なにも仰々しいことではなくて、些細なごく普通の生活のことについて、いつも思いを巡らせてしまう。それも変に筋立って考えるのでタチが悪いようだ。前提からして起こりそうも…

こころの安らぐときを

とりあえずは、今ある安全基地を守る。そこは温床であり、本当には私のためになるのかもわからない。なにが自分にとって良いところ、良いもの、良いひと、なのかなんて、誰にもわからないことだ。 わたしは、安全な場所なくして生きられそうにない。なぜ、安…

伝えるということが人との関係そのものであること

なにかを人に伝えることの困難さを。面と向かって目を見て言ったって伝わらないことだってあるのに。こんな小さな箱を介して、誰かの力を借りたって、伝わるかどうかなんて、全くわからない。伝えようとしたことも、この世界に存在していることさえも、ぜん…

身体の反応を信じている

この人がいたから、僕は僕になった。僕が僕であることに、何にも思わなくなった。ただ、そうあるだけだ、というに過ぎない。この人がいない人生なんてそもそも、なかった。 人は人を産む。それから育てる。刺激し合う。感化し合う。時には蔑んだり、罵倒した…

わたしにとっての100円

小さいころに初めてお金を手にしたときのことを、いまだに憶えている。それは、初めて自分の財布というものを手にしてからすぐのことだった。その財布がどうやってわたしの手元にやってきたのかはっきりとは憶えていない。赤いフェルトで出来たくつ下の形を…

人は、言葉によって考え、悩む。言葉をうまく扱えたら、どんなにいいだろう

人が人を拒絶することには必ずなんらかの理由があるはずで、その理由にだって拒絶されたほうは、感受性を傾けるべきなのに。 ぼくの役に立とうと努めてくれた人がいた。少なくとも、ぼくにはそう感じた。その人は、その人がぼくの役には立てそうにないと悟っ…

愛することについての一考察

みんな何かにかこつけて誰を愛していようとするけれど、本当には相手のこともそんなに知らず、ただ自分を納得させることのできる何かを持っている人に、心を許しているというに過ぎないんじゃないの。それは、愛じゃない。 誰かのことを知り尽くすことなんて…

書かれたものによってその人の何かを思うこと

書いたものには、たぶん、ぼくの何かが書かれてはいるけれど、だからといって、書いたものを通してその書いた人のことがわかるなんて幻想なのだと思う。だって、それはそういうものだから。書かれたものがどんなものであろうとも、それは書いた人の人格とは…

自分をごまかしていることを洗いざらい

あるきっかけから、ぼくは自分をごまかしているのではないか、ということに思い至りました。 それは日常の中にも深く入り込んでいるし、人生全体が向かっていくことについても言えることだ。日常の一つひとつから人生は作られているのだから、まぁ、当たり前…

書くことについての、女と男のお話

「ここ、『ろ』が『る』になってる」 スマホの画面に目を落としたまま、その人は言う。ぼくはぼくの書いた文章をざっと見返してから、苦々しく応える。 「あ、本当だ……」 これが良い機会だと、彼女がまくし立てる。会うのはもう10年ぶり。近況を話し合うこと…

現実と妄想と、それと向き合っている人の美しさ

現実に寄りかからない妄想は戯言に過ぎない。 こうあって欲しいことをただ唱えていたって仕方ない。 現実的に考えることでしか、それをし続けることはできない。もちろん、生き続けることもできない。 だからといって妄想や夢や、こうありたいという希望なし…

したいこと、それから、生きていくためにすること

どんなにできると思っても、できていない。そういうものなんじゃないかと最近は思う。それに、自分のやりたいことがそのままいつか自分のできることになるというわけでもない。向いているとも限んない。 今やっている仕事は、たまたま成り行きでやっているよ…

解き放たれつつある万能感

以前に、「〜していかないとダメになる」というような、ルールが多すぎるんじゃないか、と友達に言われたということを書いたと思う。そのことがずっと気にかかっていた。今日はそのことについて書きます。 たぶん、それは万能感によるものなんじゃないか。な…

虚しい、というはなし

なんというか、ここ数年で自分がネットでしてきたことのすべてのことを人に嘲笑われていたのかな、と思い至って、とても虚しい気持ちになった。怒りとか湧いてきそうなものだけど、そういう感情は別にない。だって、そうでしか生きることができなかったから…

人にとってのひと、自分というひと

人は人をどう見たって構わないはず。どんなに歪んだ見方をされたとしても、それがその人の見方であるのなら、それを否定することはできない。人が受ける印象みたいなものを、どのくらい支配できるのかって、よくわからない。印象を意図して受け取らせようと…

ピュアネスといういたたまれなさ

人に、この人はピュアな人、と形容されたことがあったのだけど、それは別に褒めているというわけではなくて。 ピュアな人って、ときにその人を見ていることがいたたまれなくなったりする。目を背けたくなるというか、見ているとむずがゆくなったりするよなと…

欠点のない人はいないということ、信頼するということ

人に拒絶されることを恐れて、自分の方から拒絶してしまう。人と人との関係が、お互い様であることはわかっているはずなのに。 でも、たぶん、本当にはわかっていない。 嫌な自分を認知するのが嫌なのかもしれない。それって、自分自身と向き合えていないと…

写真

正月に実家に帰るのなんて、何年振りだろう。特別に忙しいというわけでもなく、ただ実家に寄り付かないわたしは、きっと、親不孝者なのだろう。 久しぶりに顔を合わせた母は、いちおう元気そうだった。父も父で元気らしい。 あんたの小さい頃の写真が出てき…

自分の本当にしたいことを実現すること

親が大人として、大人であることを楽しんでいるようには全然見えなかったから、大人になることにそもそも期待していなかったし、そんなに楽しいものでもないと思ってた。それは友情も仕事も恋愛も結婚もたぶん子育てについても同じように思っていたと思う。 …

なんだか急に降ってきたこと

なんだか急に降ってきた 自己憐憫だとか 自己陶酔だとか 自己滅却とか 自己成長とか 自己増長とか 悪ノリとか 妄想や空想や想像や、その他あらゆる思い込みや、自分に都合のいい考えとか 自意識過剰だったりとか 自己主張だとか 自分をこう見せたいという無…

マダラ模様の現実と信じていること

目が醒めると、いつの間にか大人になっていた。ならざるを得なかった。なることを求められた。そういう年齢になっていた。大人になりたくないわけでもないし、もっと前から大人だったという気もする。自分のことは、相変わらずよくわからない。自分の中が、…

最近思ったことの雑文

なんだか最近は人生の節目っぽいことが立て続けに起こっていて、自分でも転機だなー、と思ったりしているので、なんとなくまとめておこうかな、と。いま感じていることとか、なんか、そんなこと。全然まとまりのない雑文です。本当はなにかお話を書こうとネ…

それは言葉でしかなくて、その、もっと奥にあるもの

唐突だけれども、なんかこんなことを書いておくべきだと思うので書く。 誰かがなにかを愛おしいという気持ちを、ぼくは(たぶん)決して否定しないと思う。でも、そのことを大事に思っているということは、誰の何であっても、たぶん興味があんまりない。関わ…

歪んでいる自分、素直な自分

先日書いた自分を悪く思うこと、人を悪く思うこと - 美しい、君に見せなくては。の続きです。トラウマとそれに付随する楽しかった記憶のつながりについての話でした。 人は良いことをすることもあれば、次の瞬間には醜悪だったりする。それを了解できる範囲…

自分を悪く思うこと、人を悪く思うこと

唐突だが、『幽遊白書 19巻』の『SPECIAL DAY』という話になんでこんなに執着していたのか、読んでみてやっとわかった。 トラウマに付随している楽しかった記憶にわだかまりがあるからだ。僕のは別に催眠術とかではないけど。 『SPECIAL DAY』という話にはい…

現実のコミュニケーション、Twitterのコミュニケーション

コミュニケーションについて今更になって気がついたことがあったので、考えながら少し書いてみます。 とても恥ずかしいことですが、ある理由から、人との関わりがほぼネットだけという時期が自分にはあった。まぁ、引きこもりってわけです。Twitterは基本的…

幸せについてのなにかしら その2

人にそうされたことを嫌悪していたのに、けっきょく自分が人にそうしてしまっていることがある。 大抵、後になってから、そう気がつく。 嫌悪していることの中には、本当にはそうしたかったけれどそうはできないことがある。なんらかの理由で実現不能に見え…

幸せについてのなにかしら

友達と話していて、気がついた。僕はずっと、誰かを信頼したかったし、また誰かに信頼されたかったんだ、って。 僕はある理由から、ネットでしか自分を開くことができなかった。へんな言い方だけど、最近はネットであるのに自分を閉じているようなときもあっ…

エクセルシオールカフェにて

となりに座った女性と少しだけ話をした。彼女は暇そうでもなく、かといって忙しそうでもなかった。ただ本を読もうとしていたのだった。その本は見覚えのある装幀であった。私が昨晩に寝床ですくいを求めて開いた本に違いなかった。たまらずに私は声を掛けた…